『小松原法難会』

日時: 2021年 11月11日 am 6時30分 より
場所: 本堂

◯ 6時30分「朝勤」にて読誦会をお勤めします ◯

生年四十、弘長元年辛酉、五月十二日には、伊豆の国、伊東の荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預かりにて三箇年なり。同じき三年癸亥、二月二十二日赦免せらる。「如来現在猶多怨嫉 況滅度後」の法門なれば、日蓮この法門の故に、怨まれて死なんことは決定なり。今一度旧里へ下って、親しき人々をも見ばやと思いて、文永元年甲子十月三日に安房の国に下って三十余日なり…      〜「波木井殿御書」〜

弘長3年(1263)2月、伊豆流罪を赦免された日蓮聖人は、翌、文永元年(1264)10月、故郷安房で病にふせる母に会うため、に帰郷。再会を果たします。その後、小松原(現千葉県鴨川市)で、聖人は以前から恨みをもっていた、念仏信者の東条景信の襲撃をうけます。

今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられ候て、日蓮は唯一人十人ばかり、ものゝ要にあうものは、わづかに三四人なり。いる矢はふる雨のごとし、うつ太刀は稲妻のごとし。弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いし程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり…   〜「南条兵七郎殿御書」〜

弟子の鏡忍房日暁と信者の工藤吉隆が殺され、聖人も額を斬られ、左手を骨折、重傷を負います。一方、斬りつけた東条景信も落馬し、逃亡、聖人は難をのがれました。

寒い冬の時期、寺院や家々のお仏壇に祀られる日蓮聖人のお像には「綿帽子」と呼ばれるものがかけられますが、これは小松原法難で景信に切り付けられ、眉間に三寸ほどの疵を負ったことに由来します。

この時、奇跡的に鬼子母神のお加護で救われた日蓮聖人は夜道を逃れ、 小湊山の近くにたどり付かれました。額に深い疵を負い、身を隠れしていた聖人の姿を見かけた「お市尼」という老婆が、自らかぶっていた綿を聖人に差し上げたといいます。この故事にならい寒くなると痛んだであろう聖人を偲んで、綿帽子をおつけするのです。

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