死から逃げずに、前向きにとらえる
- 講演日: 2016年 03月20日
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人は、死んだらどうなるんでしょうかね?
この世で息を引き取った後、人間はどこへ行き、一体どうなるのか――?
みなさんは、考えたことがありますか?
死の間際、できれば苦しまずに安らかにピンコロで終わりたい――私はそう思っていますが……
みなさんは、自分の「死」を想像したことがありますか? どのように考えますか?
Podcast
私は、坊さんになって60年以上になります。これまで八王子・新宿・千葉のお寺に務め、年間50件ぐらいのお葬式を行い、2500名ほどの方のお送りをしてきました。
日蓮宗のお経では、亡くなった方をお送りする際に「引導文(いんどうもん)」というのを読みます。
「今から一人そちらに行きますから、あの世でもお願いします」と、日蓮聖人に頼むわけですね。すると亡くなった方が、「私は日蓮聖人の檀家です」と名乗れば、三途の川の前で船が出てくる。険しい山では白い牛が引く車が出る。冥途と呼ばれる暗い場所では、ランプになってくれる。そういう文言です。
お経を唱えるほうの立場は、気楽なものです。自分があの世に行くわけではないですからね(笑)。でも、そうこうしているうちに私も83歳。いよいよ自分の番になっちゃった(笑)。
さあ、自分が死んだらどうなるのか――こればかりは、「経験がないから、困っちゃったよー」という状況なわけです。
正直に言ってしまえば、お経に書かれている、「あの世(天国や地獄)」の風景も、完全な確信とはいえない。実際に、あの世へ行って確認したわけではないですからね。
生きている者にとって、死は誰にも分からない。でも分からないなりに、「死」とは何なのかを考えたい――私はそう思っています。
死から逃げず、むしろ前向きにとらえること。それは、今を生きるヒントにつながるのでは、と感じています。
お釈迦様は実在した。
正直で等身大の人生。
私は坊さんをする傍ら、30年ほどにわたり、立正大学で仏教の研究をしてまいりました。
現在、日本に広まっている仏教のほとんどは「大乗仏教」です。大乗仏教の教えとは、「お釈迦様はずっと昔からおいでになる存在で、現在も、そして未来にも引き続き存在しますよ」という解釈です。
一方、私が研究するのは「小乗仏教」。おもに南方のスリランカやミャンマー、カンボジア、ラオス、タイなどで広まった仏教ですが、こちらの教えでは、お釈迦様とは実在の人物なんです。私たちと同じ、母親のおなかからオギャーと生まれ、結婚もし子どもも授かりました。それから出家して、修行を重ねた末に覚りを開き、仏陀となりました。45年間、ひたすら布教の旅を続けたのです。そして、80歳で亡くなりました。実際に遺骨も発見されています。とても身近に感じますよね。
私は、お釈迦様の人生を振り返ることが、死ぬということ、今を生きることのお手本になるのではと考えています。感話会の初回は、この「小乗仏教」の解釈から、お釈迦様の人生を少しだけ振り返ってみたいと思います。
お釈迦様は生前、いろいろな経験をされました。王家に生まれましたが母親は産後すぐに亡くなり、継母に育てられます。結婚後、子どもも生まれますが、29歳で家を飛び出し、6年間の修行に励み、35歳の時に覚りを開きました。覚りとはつまり――仏様になったということです。悩める人々を救うため、インド中を歩き、教えを説いてまわります。
その噂は国中に広まり、やがて人々は施物を持ってくるようになります。お金、食べ物、土地や建物――。でもお釈迦様自身は、そんな周囲の騒ぎに煩わしさを感じていたようです。
孤独を好み、森林の奥深くに入ることが好きでした。やがて80歳を迎えると、最後の旅に出ようと決意するのです。ガンジス河の中流の岸辺あたりから北へ北へ――。
なぜ北に向かったのかはわかりませんが、死の間際に故郷を見たかったのでは、と言われています。東西に雪山が2千キロも連なる故郷・カピラヴァッツへ――。
日蓮聖人も、死の間際、身延山を出ました。生まれ故郷の千葉を目指したのではと伝えられています。人は死の準備をするとき――自分の原点に戻るのかもしれません。
お釈迦様は、とても正直な方でした。長旅で疲れると「くたびれた」と言い、無理はしない。「体はボロボロの車のようだ」と言って、のどが渇くと弟子に「水を今すぐくんできてくれ」と頼みます。弟子は「川の水は今、濁っているから」と断るのですが、川に行くとフシギと水が急に澄んできたと言われています。
下痢をしてもう歩けなくなっても、旅をやめませんでした。なぜなら「弟子がまだ一人前でないから」。もう少し頑張ろうと思うわけですね。旅先の家々では料理をごちそうになりました。肉も食べたといわれています。
旅は続き、そして最後にどうしたか――?
「生きるのをやめよう」と、決意します。
80歳で、自ら死を決めたのです。頭の中に現れた魔物に、お釈迦様はこう告げます。
「あと、3か月だけ待ってくれ」
この残りわずかな時間で、弟子に最後の教えを説き、クシナーラの沙羅双樹のもとで、目を閉じたのです。お葬式は火葬で行われ、遺骨は八つに分骨されました。
お釈迦様の人生から
見えてくる、生と死。
お釈迦様はなぜ、このような死を選んだのでしょうか――?
かなり平然とした死に際ですよね。
お釈迦様が人生の分岐点で考えたこと、死に向かって心を安定させていったこと――それは、私たちが安らかな死を迎えるためのお手本になることでしょう。
小乗仏教の教えは、ヤシの葉に炭の粉を使ってパーリ語で書かれ、束にした教本として今から2000年以上も前から現在まで残されています。そのパーリ語を読むのが私の仕事です。
民族が違えば、考え方も違います。
仏教がはじめ日本に伝わってきたときも、なかなかわからなかったと思います。中国発祥のラーメンが、日本人の舌になじむよう日本化していったように、仏教も同じ、私たちの心になじむよう、日本人は長い年月をかけて仏教を好みの味にして日本化させていったのです。ですから急に理解しようとせず、いったん身を預けるように触れるのがよいかと思っています。
「死」は、生きていれば誰も逃れられない。万国共通の課題です。これから一年間かけて、みなさんと一緒にじっくり考えていきたいと思っています。
次回からは、お釈迦様がこんな人に出会い、こんな話をされた――そんな具体的なエピソードに触れていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。