ままならないのが人生
- 講演日: 2016年 06月20日
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三度たく米さへこはし 柔かし
おもふままには ならぬ世の中
大田蜀山人
前回もお話しましたように、常円寺の門前に立つ碑には、このような句が書かれています。
現代では、ごはんを炊くのに電気炊飯器のボタンをポンと押せばいい。ところがひと昔前は、かまどでもって、薪でごはんを炊いていました。雨の日は炭が湿ってしまい、うまく火がつかない。逆に、晴れてカンカン照りが続くというと、火がつきすぎて焦げてしまう。こんなふうに人間はいつの日も、ままならない毎日を過ごしながら生きてきたわけです。
昔は人生50年。最近は100歳まで生きる人もいますが、いつの時代も変わらないのは、「生きる」と「死ぬ」は常にワンセットということ。ひと続きなんです。つまり、死について考えるなら、まず「生きる」ことについて考える必要があるということです。
私は元来だらしのない人間で、落第坊主(笑)。父は生前気をもんで、私のことを「思い通りにいかない人間だ」とよく言ったものです。受験も一回じゃうまくいかない。けれどもこっちは平気で遊んでいる。親としては大変やきもきしたと思うのですが、それでも父は、ただ黙って見てくれていました。
今から思うとありがたい、感謝の気持ちでいっぱいです。
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さて、そんな私に比べてお釈迦さまはどうだったか? きっとお釈迦さまのことですから、スーパーマンで、理想の人生。何でも思い通りになったのだろうと普通は考えますよね。でも実は、そうでもないのです。
我々の人生は、ある意味誰もが七転八倒の毎日。時にはくしゃくしゃの顔になりながら、必死で生きていますよね。実は、お釈迦さまも同じ。一人の人間として、壮絶な人生を経験されてきたのです。
けれども、お釈迦さまの像を見ると、どれも安らかでキレイなお顔をしています。お釈迦さまのお亡くなりになった姿は、「涅槃像」として、インドのクシナーラという町で見ることができます。インド以外にも、タイやミャンマーなど、さまざまな国の各地で涅槃像を目にすることができます。
お釈迦さまは、どうしてこんな美しい表情で死を迎えることができたのでしょう? お釈迦さまの生きた80年間は、どんな人生だったのでしょうか?
今日は、晩年の出来事をご紹介します。
国王の怒りにより、
一族が皆殺しにあった。
お釈迦さまの一族、「釈迦族」という大きな集団がありました。釈迦族は、インドの北方、ネパールの南側にある地域の一区画に住んでおりました。
その南西に、コーサラ国という大きな国があり、国王がいました。この国の祇園精舎という寺院でお勤めをしていたお釈迦さまの弟子たち500人のために、国王はご飯を差し上げていました。
ところが時々、忙しくて忘れることがあった。弟子たちのほうも、ご飯も出ないし、帰りましょうかということで、なかなか足を運ばなくなってしまった。お坊さんは、一か所で留まってご飯を食べるのではなく、托鉢といって、いろいろなところを歩いてご飯をいただく。そしてその家のご利益を祈ります。
足が遠のいてしまったお釈迦さまの弟子たちに、国王は困ります。もっと仲良くしておかねばと考えます。なぜなら、仏教は民衆に大変信頼されていたので、お坊さんと仲良くしておいたほうが、政治がやりやすいと考えたのです。そこで国王は、釈迦族からお嫁さんをもらおうと企てるのです。
今でいう、政略結婚ですね。
一方、釈迦族のほうでは、他の種族の王様のような者に自分たち血統の正しい娘はやれない、ということで、釈迦族の下女に生ませた娘を、嫁として向かわせるのです。その娘がまた絶世の美女でした。そんな彼女を「王女」だと言ってごまかしたのです。
王女さまをもらった国王は、喜んで第一の妃にしました。やがて男の子が生まれました。
その男の子が16歳になると、母親にこう言いました。
「お母さんの故郷に一度行ってみたい」と。
さあ、釈迦族では困ります。王子の母親が下女だということが、ばれてしまっては大変。絶対に漏れぬよう、一族は口裏を合わせて秘密にします。ところが、帰り際、王子の家来の一人が忘れ物をとりに引き返したとき、釈迦族の国の食堂で働く女の人が歌っている歌を聞き、真相がバレてしまうのです。
聞いた家来は驚き、すぐに王子に伝えました。王子はカンカンになり、釈迦族の者を皆殺しにすると言い出したのです。
やがて国王が亡くなり、王子が新しい王位に就くと、大軍勢を率いて釈迦族の地にやってきました。すると、枯れ木の根元にお釈迦さまが座っていました。
「なぜここに座っておられるのでしょうか」
国王となった王子が聞くと、
「木の陰が涼しいんだよ。親族や親せきに囲まれていると、涼しい気持ちになるからね」
と、お釈迦さまは言います。
これを聞いて王は一度引き返しますが、やっぱり恨みの気持ちは収まりません。二度、三度と訪れます。
四度目にはもう、お釈迦さまは木の陰にはいませんでした。ついに王は、釈迦族を皆殺しにし、一族を全滅させてしまったのです。
自分の身体は、借り物。
5つの中の4つを返す。
人は生きているかぎり、常に「死に向かって」生きています。これを言い換えると人は、「死ぬことができる生き物」ともいえます。
生物の中には、死ぬことができないものもうんといます。例えば単細胞バクテリア。これは、2つに分かれて生きつづける生物です。ところが人間は、ほおっておくと賞味期限が切れ、死ぬようにできている。死はあらかじめ、予定に入っているのです。
とんちで有名な一休さんは、こんな句を残しています。
世の中は 食うて くそして
寝て起きて
さて そのあとは
死ぬるばかりよ
ずいぶんと、さっぱりした生き方ですね。でも考えてみると、私たちの人生もそんなふうなのかなと思います。
この考えの根本にあるのは、
「自分の体は、借り物だ」
ということです。人間の体は5つの要素――地・水・火・風・空から成り立っており、人は死ぬと地、水、火、風の4つを仏様(自然)にお返しすると言われています。
すると残る一つは何か? 空ですね。
つまり、空っぽ。何も返しようがない。数字でいうと0。本来何もなかったところに、人は還ってゆくのです。
この体は、かりそめにお預かりしていたもの。80年近くの間お借りしていたものを、死をもって今、お返しするのです。0のところで、「はい。さようなら」というわけです。
ただ、一休さんは、「オレの真似はするな」といって亡くなったようですね。一休さんという存在も、仏教のなかではある意味すごい人物だったのだと思います。
次回からは、死そのものについても少しずつ触れていきたいと思います。