そうか、もう君はいないのか

講演日: 2016年 04月20日
    講演者: 
  • 院首 及川真介 上人

 前回に続き、お話をしていきたいと思います。まずは熊本地震で被害に遭われた方、亡くなられた方に心より合掌いたします。

 どうしてこんな亡くなり方をしてしまうのだろう、と思います。東日本大震災でも同じ、日本の歴史を見るとこれまでにさまざまな天災などで、同じような悲しみが繰り返されてきました。そのたびに私たち日本人は、耐え忍んで生きてきたわけです。

 また、私の若いころには戦争というものがありました。太平洋戦争では、三百万人もの日本人が亡くなりました。そして今も、ヨーロッパやアフリカなどで紛争、戦争は続いています。とても残念なことです。一刻も早く止んでほしいと願っております。

Podcast

失って初めて知る。
伴侶のありがたさ。

 さて今回はまず、小説家・城山三郎さんのエピソードをご紹介します。城山さんの著書に「そうか、もう君はいないのか」(新潮社)という遺稿があります。経済小説、歴史小説の作家である城山さんは、奥さんを68歳で亡くされました。肝臓がんでした。この本には二人のなれそめから、病気の発覚、闘病介護、亡くなるまでの日々が綴られています。
 城山さんは奥さんを失くした後5年間、何も手につかなかったそうです。何をしていたかというと酒浸り。食事もろくにとらず、生前奥さんに勧められた赤ワインばかりを飲みつづけ、見るにみかねた娘さんが酒のつまみを作っては、晩酌に付き合い、ようやく回復してきた矢先の2年後に亡くなりました。
 私などは、自分が死んだら周りは喜ぶんじゃないかと思ってるんです(笑)。「あー、粗大ゴミが一つ減った」ってな具合にね。でも、そうじゃない場合もたくさんあるんですね。

 城山さんは、亡くなる前娘たちに懸命な介護を受けました。にもかかわらず、臨終の間際はこうつぶやいたそうです。
「ママはどこ?」
最後まで奥さんを思い続けていたんですね。

 みなさんの中にも、伴侶を亡くされた方、いらっしゃると思います。寂しい思いをしているのか、せいせいしたと思ったのか(笑)、ぜひ声を聞かせてほしいと思います。

 ただ一つ言えるのは、生きている時は空気のようで、そばにいるのが当たり前の存在も、いざ失くすと分かるありがたみがある。震災でもそう。水や電気も、なくなって初めて知る大切なものですよね。たとえ毎日いがみ合っている夫婦であったとしても、同じことがいえるのではないでしょうか。

 また、こんなお話もあります。今年の4月3日の読売新聞に掲載されたものです。
 国立がんセンターの総長を務められた垣添忠生さん。この方も奥さんを亡くされました。最後は必死の看病だったそうですが、他界後、やはり酒浸りになったそうです。
男ってのは、弱いものなんでしょうかね?

 周りからは「泣いてばかりじゃだめだ」と諭されますが、それがかえってキズになり、回復に1年ぐらいかかったそうです。記事のなかで、垣添さんはこのように語っています。

 「人が死んだら、残された者はどうなるのか? それが今の病院では考えられておらず、患者だけを治療することに必死になっている。周囲への心のケアがこれからますます必要になってくるだろう」と。

 残された者の悲しみを、どう救うのか?仏教の教えではどうなのか。実はこの問題は、非常に難しいんです。

原始仏教の厳しさに、
真実を見い出す。

 私たちは「南無妙法蓮華経」ととなえます。この言葉は優しく、「誰もがみんな救われるんだよ」という意味があります。大乗仏教には「おいで、おいで」という、お釈迦様の温かさを感じます。実際私も、そうあってほしいと願っています。

 ところが、お釈迦様の一番古い教えである原始仏教では、どこか冷たい突き放した感じがあります。例えば「悲しみ」に関するくだりで、お釈迦様はこう言います。
「治してあげるよ。でも最後は自分の力でやりぬくんだよ」と。
自分の苦しみは自分で治せというわけなんですね。

 原始仏教のなかに、こんな話があります。
 今から2000年ほど前、インドのある町に一人の財産家の娘がいました。歳の頃は17か18歳。それは美しく成長し、両親は娘に悪い虫がつかぬようにと心配して、ビルの7階の部屋にかくまって育てていました。

 ところがあるとき、娘はビルの給仕(ボーイ)と恋におちます。そして二人はこっそり家を抜け出し、駆け落ちをするのです。遠い村で生活を始めた二人に、間もなく子どもが授かります。見知らぬ土地で出産するのを恐れた娘は、「実家に帰ろう」と夫に相談します。でも夫は反対。娘は一人で実家に向かいますが、途中で産気づき、出産をします。

 しばらくして2番目の子を授かります。このときも娘は実家に向かおうとしますが、大雨が降り、足止めされます。仕方なく夫が草を敷いて出産場所を作るのですが、夫は毒蛇にかまれ死んでしまうのです。悲しみのなか、娘は2人目の子を出産し、実家に向かいます。

 ところが近くの川は大雨で増水し、3人で一度には渡れない状態でした。娘は赤んぼうを岸に残し、上の子を向こう岸へ渡しますが、いじわるなタカが現れ、赤んぼうをさらっていってしまうのです。川の中で半狂乱になって叫んでいると、今度は上の子が流されてしまいました。

 実家にたどりつくと、家は潰れ、父と母と兄はその下敷きになり、煙が出ていました。
「今、3人の死体を焼いている。その煙なのだよ」
と近所の人から聞かされます。娘は家族も身内もいっぺんに失ってしまったのです。

 あまりの悲しさに、気がふれたようになると、村の人々は石を投げつけます。それを見たお釈迦様が、「こっちへおいで」と娘に手を差し伸べます。そして、こう言うのです。
「4つの海洋の水は少ない。あんなにたくさんある水でも、実は少ない。人間が流す涙の量は、広い海の水よりも多いのだから」
 悲しみを抱えて生きるのは、君だけじゃないんだよ、人間という生きものは昔から海水よりも沢山の涙を流し続けて生きぬいて来たのだよ、という意味なのでしょう。

自分を救えるものは、
自分自身の中にある。

 お釈迦様の言葉で、娘は正気に戻ったといわれていますが――果たして人は、言葉だけで悲しみを乗り越え、正気に戻るのでしょうか。

 私はむしろ、お釈迦様の抱きしめてくださるような雰囲気――この人のところにいると何となくほっとするという感触――そこに娘は、救われたのではないかと解釈しています。小さな子がお母さんに抱きつく。この行為は理屈じゃない。私は、人間に一番大切なのは、そこではないかと思うのです。

 原始仏教の教えは、時に厳しいです。
「子どもたちは助けにならない」
「両親もお前の役にはたたない」
つまり自分を救えるのは、自分自身だというわけですね。

 一方で、大乗仏教はそうではない。
「誰にも心の中に仏様がいるよ。それを大事に育てればみんな仏様になれるよ」
という教えです。
 これもまた真実かもしれません。でも、すがってばかりでもダメ。自分をしっかりとし、自分のことは自分でするのだよという原始仏教の教えも、また真実だと思うのです。

 救いを求めつつ、自分の力でやりぬく。
 両方をバランスよく受け止めることが、これからを生きる秘訣なのだと思うのです。

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