不安な世を生き抜く、処方箋。それは信じ、お任せすること

講演日: 2016年 12月20日
    講演者: 
  • 院首 及川真介 上人
Podcast

戦争を境に失われた
道徳心と心の平安。

 2016年も終わり、いよいよ新年を迎えます。みなさまには今年も一年、大変お世話になりました。

 先日、小学校の同窓会がありました。卒業したのが、今から70年前。久しぶりに「しんちゃん!」とあだ名で呼ばれ、一瞬のうちに70年が戻ったような気がしましたねえ。人は意外と、大昔のことは鮮明に覚えているものです。逆に、昨晩は何を食べたかなんて忘れてしまいますけど…。

 13歳のときアメリカの空襲を受け、爆弾を落とされて誰もがあちこちに逃げた。みんな、あのときどこへ逃げた、あーだこーだという話は、実によく覚えているんですね。話題がとても盛んに出てきます。もう一つは現況報告。お医者さんの話と、薬の話ばかりですね(笑い)。
 生きると死ぬとは紙一重。だから、さまざまな体験を重ねるほど、「あとはいいや。お任せだ!」という気持ちにもなってきます。

 さて私は以前、『大法輪』という雑誌で地獄について書きました。輪廻とは、死んだ後また別の世界に行く。人は死んで埋葬されておしまいではなく、別の世界で蘇り、再生する。人はそれを繰り返しやってきたということです。死後の行き先は、いいところと悪いところがある。いいところはつまり、天国。上の方にあるらしい。これはキリスト教やイスラム教でも同じですね。悪いほうは地獄。下の方にあるらしい、と。

 「地獄」という言葉は今でも、「大変なところ」という意味で使われますね。通勤地獄、借金地獄、受験地獄…あまりいいところではないですよね。
 善い行いをすれば、死んだ後いいところに行ける。悪い行いをすれば、悪いところに行く。そう説いたお釈迦様は、今から2500年位前の人ですが、明治・大正時代ぐらいまでの人々は、その教えを一生懸命信じて生きてきました。

 ところが戦後になり、がらっと人の考え方が変わってしまった。戦争に負け、食う物も着る物もない。だから戦後の人は豊かになることばかり願って生きてきたんです。より良い生活になるよう努力してきた。それ自体はよいのですが、2500年以上守られてきた道徳やメンタル的な大切な部分まで失われてしまった。精神よりも、食う物に走ってしまったわけですね。

 私も戦争は大嫌いです。ひもじい思いを自分で経験してきているので、骨身に沁みて分かっています。戦後、日本は工業や各種産業でトップの国になりましたが、これまで伝えられてきたお釈迦様の教えを、ほっぽらかしにしてきた。そのツケが今になって出ているように思います。学校教育におけるいじめ問題なども、その一つでしょう。

 信じる。お任せする。そういう境地になると、人は心が安らかになります。余計なことを考えなくなる。いろんな物事が、ラクになる。そんなことが失われつつある現代です。

善人は天国へ。悪人は地獄へ。
シンプルで深いお釈迦様の教え。

 輪廻や地獄、極楽という話は、原始仏教で1500年前ほどから書物に残されています。私はそれを翻訳する仕事をしておりますが、実にいろんな物語が500も1000も出てきます。2000年から2500年も前のインドの人々がどういう考え方のもとに暮らしていたかが描かれています。そのなかに輪廻の話はたびたび出てきます。

 インドの人々は、人は死んだら終わりではなく必ず「先がある」と信じてきました。そしてその先は、現世で生きている間にいいことをしたか、悪いことをしたかによって判断される。嘘をついたり、人の物を盗んだり、生き物を無駄に殺すと、来世で大変なほうに行ってしまいますよ、だから悪いところに行きたくなかったら、いいことをしなさいと、そういう教えですね。お釈迦様の教えは、シンプルなんです。

 インドや東南アジアの各地で見られる、お釈迦様の涅槃像は、どのお顔も平和で安らかな表情をされています。でも、お釈迦様の生涯がそんなに安らかだったかというと、決してそうではない。むしろ、お釈迦様ほど非情な生涯を送った方もいないんです。お釈迦様は晩年、一族が皆殺しに遭っています。そして、孤独に生涯を終えた。涅槃像のあの姿の奥には、実は相当な苦しみが潜んでいるのです。

 ではなぜ、お釈迦様が安らかなお顔でいられたのか―? 答えはとても簡単なんです。

今だけが全てではない。
来世の幸せを願い祈る。

 釈迦族がなぜ皆殺しに遭ったのかは、以前の法話でもお話をしました。コーサラのパセーナディ王が、「血統のよいお釈迦様の親族の女性をお嫁さんにください」との申し出があったとき、気位の高い釈迦族は、それをごまかし奴隷の女に産ませた娘を差し出したんです。王子が生まれ、16歳になったとき、あこがれの母の国カピラを訪問しました。そこでちょっとしたことから自分の母親が奴隷女の娘だということがバレてしまいます。あこがれが大きかっただけ、裏切られた怨みもはげしいものでした。王子は大軍を擁して釈迦族殲滅に出陣しました。

 そのときお釈迦様は、枯れかけた一本の樹の下に座りました。
「どうしてここに座っておいでなのですか」
 王子が尋ねると、お釈迦様は、
「親族の木陰は、涼しいんだよ」
と言います。お釈迦様は、一族を守ろうとしたんですね。

 王子の気持ちは一旦はおさまるのですが、再び怒りが沸き上がります。そしてついに四度目に攻められたとき、お釈迦様はその樹の下においでにならなかった。なぜか?お釈迦様は自分の一族が皆殺しになる運命なのだ、とはっきりお覚りになった。自分の一族がこれまで悪いことをしてきたのを知っていたのです。

 山でたくさんの動物を殺してきた。川に毒薬を流したこともある。一族が悪の報いを受けるため、最後は皆殺しに遭っても仕方ないと、お釈迦様は引き上げたのです。結局、何万人という釈迦族が殺されました。

 ではなぜ、お釈迦様はそれを知っていたのでしょう? 
 お釈迦様は35歳で覚りを開き、3つの力を得ました。一つは、あらゆる物事の過去を知る力。2つ目は、未来を知る力。3つ目は、あらゆる煩悩を消すことができる力。これらの力を得て、仏様になったのです。

 お釈迦様は菩提樹の下で49日、じっとしていました。そして満足し、やがて自分も「死んでもいい」という境地に達します。
 ところが天の神である梵天から言われます。
「もったいないことをしないでください。世の中には困っている人々がたくさんいます。せっかく得たその力を使い、人々を救ってください」と。

 そこでお釈迦様は、昔、ともに修行をしていた5人の弟子に教えを説きます。弟子たちもお釈迦様のような覚り―超自然の力を備え、布教をしてゆきました。これが、仏教の始まりです。

 お釈迦様に仕える人はたくさん出てきました。みな、お布施や施物を持って訪れます。ところが、お釈迦様の元で一生懸命お経をあげている人が、帰り道突然事故に遭ったり、急に崖から落ちたりと、辛い出来事が次々に起こるのです。

 もし私がお釈迦様の立場だったら―困ってしまいますね。自分に奉仕してくれた方々が突然の不幸にあったら、自分の責任だと思ってしまう。この世でもっとしかるべきご利益があってもいいのに―そう思いますね。

 ところがお釈迦様は、そうは言わないんです。
「あの人は、いいところに生まれ変わった」と言うんですね。奉仕のおかげで、天国に行っていると言うのです。

 我々現代人は、ついこの世でのご利益を願ってしまいます。もう少し長生きしたい、病気がよくなってほしい、宝くじに当たりたい、など。現代人は、今のことを中心に考え、今の幸せに重きを置きます。

 でも昔のインドの人は死後の幸せを聞いて、「ああ、そうなんだ。そういうものなのだ」と納得しました。今は万事「科学の物差し」ではかりますので、科学ではかれないものを信じるのは困難です。しかし科学が万能とも言い切れない。何ともむずかしところです。

 ともあれ本年もあっという間に終わりました。光陰矢の如しです。
 みなさまが一日、一刻を、幸せに感じてお過ごし下さいますよう、心からお祈りいたします。ありがとうございました。

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