目の前の、小さなことを一歩ずつ。正しく生きた結果が、安らかな死なのでしょう
- 講演日: 2017年 02月20日
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つい最近、家内と電車で出かけました。近ごろは、駅のホームにすっかりベンチがなくなりましたねえ。私のような年寄りは、歩くとすぐ疲れてしまうので、本当は座りたいのですが…だんだんと少なくなって、ベンチの跡ばかりになっています。
また、私はタバコが大好きなのですが、いつもの喫煙スペースも禁煙になり歩道も駄目で、唯一吸えるのは、近所の喫茶店だけ。タバコを吸うためにコーヒー代を500円出してわざわざ入るなんて時代ですね。財布のほうも軽くなる一方で、困りますねえ。(笑)
さて、これまで「死」をテーマにお話ししてきましたが、私はどうも臆病なのか、死の話になるとどうしても、「生きる」ということに行きついてしまいます。でも、生きることをちゃんとやっていれば、死ぬこともちゃんとできるのでは――こんなふうに思うのです。
Podcast
戦後に消えてしまった
地獄や極楽浄土の思想
お釈迦様の教えが生まれたのは、今から2500年位前。それから約2400年間は、死後のことがちゃんと伝えられていました。
まじめに正しく生きた人は、天国や極楽浄土に行ける。悪いことをした人は悪いところ、つまり地獄に行くと。こういう教育を、日本は切れ目なしにずっとやってきたわけです。
ところが最近100年ほどは、地獄だとか極楽だとかを言わなくなってしまった。
昭和20年に戦争が終わり、当時は明日食べるものさえない時代。少しでも豊かになろうと生きてきました。もっといい生活を、もっと楽な生活を、と誰もが走りつづけたわけです。その結果、「死んだ後はどうなるか?」など、考えなくなってしまいました。科学万能で理論的に証明できるものだけを信じる時代になりました。
ただ、お釈迦様の教えをよく読んでみると、こう書いてあります。
「よく生きなさい。しっかり生きなさい。生きていれば必ず、後にいいことがあるんだよ」
と。つまりお釈迦様は、生きることにもポイントを置いているんですね。先のことばかり考えてクヨクヨしてはダメだよ、ということ。
そんなお釈迦様の教えを、文字通り実践した方が、私の知人でおります。
百歳をすぎて、なお
感性を失わない人生。
中島リツさん。彼女は私の小学校からの友人の中島郁夫君のお母さんですが、百歳近くになっても俳句をつくり、多くの素晴らしい句を残しました。
『百近くなる歳迎え 梅開く』
ここ常圓寺の庭も、今まさに梅の花が開いていますが、いくつになっても彼女は花を眺め、「あー、今年も開いたなあ」というわくわくする気持ちで春を迎えました。また、こんな句もあります。
『飛びちがう 雀の影や 春近き』
少しずつ暖かくなり、動きが活発になる雀たち。そんな様子に、春が来るのだという喜びと期待を読んでいます。百歳になっても生きることに対峙し、みずみずしい感性を失わない。そんな彼女の生き方は、とても素晴らしいと思いますね。
彼女は、ひかえめな静かな方でした。でも彼女の人生そのものは、決して穏やかではなかった。八王子に新築したばかりの家や寺を戦災で焼かれ、49歳の若さでご主人に先立たれました。戦後、別の場所へ移築し、たくさんの子や孫たちの面倒をみました。最後は、子、孫、ひ孫、計51人に囲まれ、あの世に逝かれました。
戦争の時代には、大変な人生を送られてき方が多いです。93歳になる私の母も、3人の子を育てながら30代で夫に先立たれ、再婚で我が家に来られました。我が家には子どもが7人いましたから、結局10人の子育てと家の切り盛りをやってきたわけです。本当にこの時代の方々には、頭が下がります。
中島さんの句には、こんなものもあります。
『炎帝に 負けるものかと 歩き出す』
カンカン照りの長い長い上り坂を、彼女は一生かけて歩いてきたのだと思います。彼女の長い人生は苦労の連続であったかと思いますが、ひるまず、さあ行くぞと気合いを入れつつ歩いてきた。こんな生き方こそが、大事なのだと思います。
目の前にあることを、一つ一つこなす。
難しいことや、大それたことでなくていい。当たり前のことを誠実にやっていく。そうやって一歩一歩やっていくと、いつの間にか、人は何かを残している。中島さんの場合は、51人の子孫たちへ自分のDNAを残した。人生に立ち向かっていく魂を残して行きました。人はそれぞれの立場で、出くわしたことを一つずつこなしているうち、何かしらこの世のお土産に残してゆくわけです。それこそが人生っていうもんじゃないか、と思うのです。
過去を追うな、未来を願うな。
今をよく見極め、行けばいい。
私は、パーリ語で書かれた原始仏教の本を読む仕事をしています。今から2千年くらい前のお経に注釈をつけたものですが、そこにはよく、こんなことが書いてあります。
『過去を追うな。未来を願うな。』
何故か? 過去はすでに捨てられたものであり、未来はまだやってこないから。
だから今ある現在のことだけをしっかり見て、あっち見たり、こっち見たりしないで、くよくよしないで、今だけをしっかりと見極めればいいのだと。
とはいえ、小学校の同窓会などに行くと、つい昔話になりますよね。あとはお医者さんと薬の話。お釈迦様自身は80歳で亡くなられた。日蓮聖人は60歳。私みたいな84歳の気持ちは、もしかしたら分からないのかなー。(笑)
冗談はともかく、歳をとると、どんどんくだり坂になる。体力も気力も衰えてゆく。そんな事実をもきちんと認め、現実を把握すること。そこなんじゃないかな、と思います。
現実をしっかり見て、最善を尽くし、あとはお任せすればいいのだと思うのです。
一方、仏教では死後の世界や輪廻転生の話などがありますね。日蓮上人も、生まれ変わりを信じていました。私の父もそうでしたね。亡くなる前に「お迎えがまだ来ねえな」と言い、日蓮様のもとへ行くのを信じていました。
本当のところは、分からないです。死後の世界なんて見た人がいないから、証明できない。でも、信じることで、気持ちに安らぎがでてきます。そこに信心の大切さがあるのだと思います。
私はみなさんに、「信じなさい」とは決していいません。「信じなくてもいい」とも言いません。信じる、信じないは、あなた自身にお任せです。
なぜか? 仏教の大原則は「自業自得」だからです。
信心とは、夢を持つこと。
正しい生活の上の、自由。
自業自得とは、「自分がやったことの果報は、自分が受ける」ということ。何を信じるか、信じないかも、個人の自由です。でも信心するにはまず、それなりの正しい生活がなくてはダメですね。例えば、泥棒をしておいて安らかな死を信じても、ダメです。ちゃんとした生活をしたうえで、素直に信心する。これが基本で、そして難しいところなのでしょう。
前回もお話しましたが、お釈迦様の一族は、皆殺しに遭い、お釈迦様自身の人生は決して幸せだったとはいえません。日蓮聖人も、現世では数々の法難にあい、結局鎌倉幕府に受け入れられず、最後は身延山に入りました。それでも、亡くなるときは、必ず自分は霊山浄土に行くという強い確信をもっていたようです。
炎帝(お天道さま、太陽)に負けることなく、もうひと頑張りしよう。生きている間は人を救うことに徹しよう、と。お釈迦様も日蓮聖人も信心があったからこそ、たとえボロボロの現状でももう一歩進もうと、生きてこられたのだと思います。
苦しいときこそ、夢を持つこと。どんなに小さなこと、些細なことにも、いくつになっても夢を持って信心していく。それが生きるということなんじゃないかと思います。
信仰って、そんなに難しいことではない。
理屈でも、哲学でもない。
気持ちなんだと、思います。