仏々現前
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発行日: 2022年 03月10日
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季報: 春 第105号 掲載
住職 及川玄一
「誰でも仏になれる」と聞いて、どう思いますか。人の心には鬼に見えても、仏を見ることは稀でしょう。死ねばみな仏になるということか、と受け取る人がいるかもしれません。素直に頷く方は少ないでしょう。お釈迦さまはどんな人にも仏性、あるいは仏種が備わっており、それを自覚して大切にその種を育てれば、誰もが仏になると説きました。
そこには、人種や民族、性別、身分や職業による差別はありません。そういう点から仏教は平等な宗教と受け止められますし、その教えの根本が仏教を寛容な宗教にしています。
ブッダ(仏陀)とは悟った人、気づいた人という意味です。何かに対して気づくこと、目から鱗が落ちるかのような経験は誰にもありますが、ブッダの悟りは宇宙の真理に気づき目が開かれた、ということです。お釈迦さまが悟ったことが真理になったのではなく、すでにある真理を悟り、私たちに伝えたのです。
当山三十七世の祖父、及川真学上人が昭和四十七年に設立した埼玉県熊谷市の立正幼稚園が創立五十周年を迎えました。計画していた祝賀行事は時勢を鑑みて自粛いたしましたが、何か記念になることを、と考えて園舎に隣接する礼拝堂(入・卒園式の会場、室内遊戯ホール)にお祀りしているお釈迦さまのお像を飾る荘厳を整えることにしました(写真は、荘厳前)。
その礼拝堂の正面に祖父が揮毫した四文字「仏々現前」の額が掲げられています。創立者としての園や園児に対する思い、あるいは理想がその語に込められていると感じています。
「仏々」は「仏仏」、「現前」は目の前に現れていること。書き下して読むと「仏、仏の前に現れる」です。単純にも思える意味をこう解釈してみました。「私の目の前にいるあなたは仏さま、あなたの前に立つ私も仏さま。そうか、みんな仏さまなのだ!」
欧州では、相手をヒトラーに例えて自分を肯定した人が、逆にヒトラーになぞらえて非難されています。平和の尊さをつくづく感じる世の中ですが、真の平和を実現する根本は個々の心の中にあるのではないでしょうか。
去る二月二十七日、祖母かず子が九十七歳を今生の一期に、み仏の霊山浄土に旅立ちました。通夜・葬儀は親族、縁故寺院、総代、感和会会員、かつて当山で修行した僧侶の方々とともに営みました。
生前のご厚誼に感謝するとともにご報告させていただきます。 合掌