旅立った人への思い
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発行日: 2023年 09月07日
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季報: 秋 第111号 掲載
住職 及川玄一
コロナ禍の下でノンフィクション作家の久田恵さんがある全国紙にこんな文章を書いていた。
GOTOトラベルを利用して軽井沢に出かけた。予約したホテルに行く前に「万平ホテル」に立ち寄る。そこは晩年の父親のたっての願いで、最後に一緒に泊まった場所だった。喫茶店でその日と同じアップルパイを食べ、思った。ここはきっと父の思い出の残る大事な場所だったのだろうなあ、と。それを聞き逃した自分を悔いた。そして思った。今、自分が切実に会いたいのは、この世にいなくなってしまった人ばかりなのだなあ、と。齢を重ねた人なら同じような経験をお持ちだろう。
感話会の法話作りのため、新聞記事の切り抜きなどを集めたスクラップ帳を繰っていて、一編のエッセーに目を止めた。「父の文字」の題、投稿者は千葉県に住む七十一歳の女性だ。
「字は体を表す」
色あせた父の年賀状の文字は躍動し、そしてまるで春の野原で思いっきり、手足を伸ばしているかのようにも見える。
父の書く文字はいつも決まってそんなふうだった。役所に出す書類の文字も学校への提出書類も孫の命名の字も。
ちょっとそれが不思議でもあった。
そして、亡くなる半年ほど前、病院の長い長い待ち時間に何を思ったのか、父は不意にシベリア抑留時代の話を始めた。
文字が上手だった父は事務方に回され、厳冬の最中森林伐採に行かずに済んだこと、そして森林伐採がどれほど過酷な作業だったかも。行きの点呼と帰りの点呼で人数が違っていたこと。
そして、その戻れなかった人たちの墓標を一体、何人分書いたことかと。シベリアのどこかの荒野には、父の文字の墓標がたくさんあるはずだと。
初めて聞く話だった…。
抑留から2年たって、父はシベリアから帰ってきた。
生きて帰ってきたこと、再び故郷の土の上に立てたこと、父の書く文字に表れているのは、きっとそのときの喜びなのだと私は思う。
お盆と終戦の日が重なる八月には、とくに旅立った人を思い出させる。スマートフォンの普及で、誰もがカメラマンになったような昨今だが、私たちの思い出の多くはまだ古いアルバムや棚の上のフォトフレームの中にしまわれている。白黒の写真も少なくない。生きると別れるは同義語かもしれないとしみじみと感じる。生きているがゆえに別れを経験することになってしまうからだ。いくつもの別れを背負って歩く人生は重く、辛いこともたくさんある。でも、不思議なことに旅だったはずの人たちが支え、励ましてくれている。