人の心と犬の心
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発行日: 2019年 09月01日
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季報: 秋 第95号 掲載
住職 及川玄一
最近、私が聞いたことです。「十三年間ともに暮らした愛犬が旅立った。今は、寄り添ってもらっていたと感じる。味があり楽しかった日々を忘れない」。―――「飼っていた〝子〟」と同じ墓に入りたい、という人が増えています。二十年前、鳴き、歩き、顔を見つめ、お手をしてくれる犬型ロボットが登場し、とくに女性高齢者の人気を集めました。修理不能のものを集めた〝葬儀〟まで行われたといいます。犬はいとおしく、時に人の心に深く入り込む存在のようです。
横須賀市にある特別養護老人ホーム「さくらの里 山科」に、「文福」という雑種犬が暮らしています。名は「文福茶釜」由来でしょうか、少しユーモラスです。保健所から引き取られた当時の荒んだ様子から一転、天真爛漫とでもいうべき性格で入所者・スタッフから愛される存在になりました。本来の姿に立ち戻ったのでしょう。
文福はとても大事な仕事をしています。ホームに来て二年ほど経った頃、介護士のひとりが気づき、驚きました。文福が、危篤になった入所者の部屋の前に座って、悲しそうに首をたれています。半日もそうした後、そっと部屋に入り、ベッドの傍に寝そべってじっとその老人を見つめています。旅立ちの二日前、ベッドに上がり慈しむように顔をなめ続け、最期まで寄り添いました。〝イヌ〟ならではの本能でしょうか、文福は人の命の終わりを知ることができたのです。臨終に寄り添い、看取ったのです。
思い返すと、文福は誰かが重篤になると必ず数日前にその部屋の前に佇み、やがて同様のことをしました。その姿は、死者を見送るスタッフたちの悲しみや心の重さを軽くしてくれました。そして何よりも、旅立とうとする人の気持ちを和らげ、支えました。
ペットと一緒に入所できる施設は、国内ではここだけだそうです。ひとり暮らしをするお年寄りの中には、ペットと離れたくなくて、施設への入所を拒む方もいます。一緒に入れる施設は、とてもありがたい存在なのです。ホームには他にもたくさんの犬が暮らしています。すべての犬が文福と同じことをするわけではありませんが、入所者にとってはそれぞれ、自分のペットがかけがえのない存在で、それ故スタッフにとっても大切な存在なのです。
孤独、別れはつらいものです。心の支えが必要です。それができるのは人ですが、その人を犬が支えることもできます。最近手に取った一冊「看取り犬 文福の奇跡」(若山三千彦著・東方出版刊)が教えてくれた逸話です。
人の最期を語るとき、だれが介護するのか、その資金、それにまつわる介護離職など、現実的で困難で重い課題が語られますが、最後のよりどころとなる「心」を忘れるわけにはいきません。その心は、犬にも備わっているのでしょう。その仕組みは人にも犬にもわかりませんが、遠く仏様の教えに通じるのかもしれません。 秋の気配を感じます。皆様方には、心穏やかに、よい日々をお過ごしくださいますよう。