世は「妙」なもの

発行日: 2020年 07月01日
季報: 夏 第98号 掲載

住職 及川玄一

 作家の井上ひさしさんが亡くなって十年になる。劇作家としても活躍され、若い頃は浅草の劇場で台本を書いていたこともあったそうですが、戯号(筆名)に用い、法号(戒名)に残るほどに筆が遅いことでも有名でした。

 その井上さんは「むずかしことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」という言葉を残しました。親交があった放送作家の永六輔さんが、僧侶が法を説くときの極意として「法に則り、比喩を用い、因縁を語るべし」と語ったのを聞き、それをわかりやすい言葉に置き換えたのだそうです。

 文章を書くときに心がけていましたが、とても難しいことです。言葉通りに行おうとしても、伝えたいことの本質を深く理解し我がものにしていなければ、できることではありません。

 ご法事やお通夜でお話をするとき、井上さんの言葉を念頭に置くのですが、やさしくも、ふかくも、おもしろくも、おいそれとできるものではありません。

 法号を考えるときも同様です。私は女性に対して「妙」という字をよく選びます。例えばご長寿を全うされた方であったら「妙寿」、高潔な生き方をなさった方には「妙清」などです。妙は「妙法蓮華経」の妙ですからそれだけで尊い字と受け止められますが、そもそもなぜ「妙法」なのか「妙」なのかと問われたら、なかなかの難題です。

 妙は「女」と「少」を合わせてできた字です。「少女」です。かわいらしい、若く美しいという意味の所以です。しかし、それだけではありません。妙手・巧妙などの言葉があるように極めて巧みである、とても優れているという意味もあります。また、奇妙・神妙のように不思議、人知では計り知れない、奥が深いなどの意味も持っています。

 私は「妙法蓮華経」の妙にはそれらすべての意味が含まれていると考えていますが、特に「不思議」「計り知れない」「奥が深い」に、妙法の意味を理解するためのかぎがあるように思います。不思議とはよく分からないということです。「あの人は妙だ」と思うとき、不安な気持ちが生まれています。それは相手のことがよく分からないからです。

 どうでしょうか。よく考えてみると私たちの暮らす世界も、その中を生きる人生も実に妙ではありませんか。様ざまな分野で未解明な事柄を解き明かすための努力がなされ、分からなかったことが分かるようになっていますが、それでも私たちはどれほどのことを正しく知っているのでしょうか。この世の中から妙なるものを完全になくすことはできません。世界には不思議が満ちています。

 「人生とは妙なもの」は、ひとつの本質ではないでしょうか。「人生とは分からないもの」であることを根底に据えて物事を考え、思考を組み立てるよう心がければ、不安な気持ちが落ち着き、心に余裕が生まれてくるように思います。物事の本質をしなやかに受け止め、その中に笑いやユーモアを加えていくことができれば、心安らかな日常になっていくのではないでしょうか。

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