往時を憶う

発行日: 2020年 09月01日
季報: 秋 第99号 掲載

住職 及川玄一 

春のお彼岸前から心が晴れることの少ない日が続いています。見えないものと対峙する困難を痛感しますが、今はただ禍の先の光明を見出すべく努めております。幸いにも、お寺に働くもの一同健やかに日々の山務に勤しんでおります。

 六月末、宗祖ご降誕八百年慶讃事業の理念・内容をとりまとめ、ご寄付のお願いをいたしましたところ、早速に多くのお檀家様から浄財をお寄せいただき、有難きことと深く感謝申し上げます。

 今事業のひとつであります東北区画墓地の塀(三面)の架替工事は八月から北側の最も老朽化が進んだ箇所に着手、無事に撤去作業を終えました。作業経過を見て、塀の傷みが深く広く進んでいた様子がよくわかり、今日まで大事に至らなかったことに改めて安堵しました。

 二十年ほど前、私は新住職として着任早々の八王子市・本立寺で本堂の大改修工事に携わりました。戦災からの復興途上の市中で昭和二十八年、真っ先に再建されたお堂でした。すべてが乏しい時代にあって、ご先祖とお寺に寄せるお檀家様の強い思いが込められている、と聞いておりました。それ故に、新しい部材・設備に取り換えるよりもむしろ、既存のものを修理・改修・補強することに心しました。工事の進行とともに見て感じたのが、いたるところにお檀家様の汗、涙、香のかおりが染み込んだお堂でした。

 終戦から七十五年、当山の本堂もまた戦災で焼失した伽藍を復興、再建したものです。昭和四十一年に落成しました。もう五十四年前のことです。空襲で失われた本堂は、昭和五年の新築から、わずか十五年の短い命でした。落成当時、東都一と謳われたそうですから、それを失ったことへの落胆も大きかったと聞きます。再建された今の本堂には、当時のお檀家様の、前本堂への愛惜の念が込められているようにも思われます。

 昭和二十一年の東京都の人口は約四二〇万人、本堂が再建された四十一年が一一〇〇万人でした。日本が着実に国力を回復していく途上に成った、念願の本堂でした。象徴的なのは鉄筋コンクリート建築であることです。今日では、改めて木造建築の良さが見直される時代になっていますが、未だ空襲の記憶が去らなかった当時を想像すると、最新の鉄筋コンクリート構造は望んでの選択であったと想像できます。

 過去を振り返るとき、親の代も祖父母の代も、いつの時代の人たちも、次の世代へと懸命にバトンを受け継いできたことに気づきます。お寺もまた代々のお檀家さんが、やり繰り・工夫する生活の中で心を寄せ、護り、つないだことで今日があります。そのお心をしかと受け止め、今は亡き方々のお気持ちを大切にし、守り続けることができる場所にするよう努めたく思います。

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