「妙を行く」

発行日: 2024年 03月12日
成子新聞: 第31号 掲載

令和6年2月20日 法華感話会 法話

「妙を行く」

住職 及川玄一

 みなさん、こんにちは。気温が高い日が続き、今年は梅がだいぶ早く咲きました。今日は「冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを」という日蓮聖人のお言葉を一緒に読みましたけれども、不順な季節の運行は不穏なことが起こる予兆のような気がして心配になってしまいます。

 

あちらこちらへ

 今年は身延山に行く機会が多く、すでに五回も行きました。大晦日に私が後見役をしている身延山支院・窪之坊のご住職が亡くなられ、年明け早々に密葬儀を営みました。また、一月二十一日に身延山九十二世内野日総法主猊下が九十七歳でご遷化され、急遽登詣することになりました。先週は窪之坊さんの四十九日忌を勤めるため再び身延へ行き、昨日は祖父の代から付き合いのあるお寺で不幸があり、そのお葬式に出席をしてきました。まだ、年が明けて大して間がありませんが、慌ただしくしています。

子の成長を見つめる親の思い

 午前中、寺務所にいる梅田君から「御前さんに年賀状を下さった方の名前や住所が正しく記録されているかチェックしました」と報告を受けました。来年の年賀状を出す時に字などの間違いをして失礼することがないようにと調べてくれたわけです。

 メールでの通信が一般的になり、年賀状を出す人が随分と減ったそうですが、産経新聞の一月十日号に「年賀状」と題したエッセーがありました。

 

 年賀状に娘の写真を載せるようになってから22年。生後すぐの頃。保育園のお遊戯。七五三の晴れ着姿。運動会の徒競走。左打席に立つソフトボール大会。成人式の晴れ着姿。娘の年賀状は今年で23枚となる。

 いくらでも写真があった頃は選ぶのに苦労したが、今では頼み込まないことには撮れない。写真を載せた年賀状を作ったがついに出せなくなった。今年はラミネートして保管するだけ。

 娘はどんどん成長していく。この春には社会に羽ばたいてゆく。

 育児とは、親も共に成長する協同作業と聞いたことがある。しかし、私の中の娘は、まだお遊戯をしたり徒競走をしたりしている。私の成長はそこで止まっているのか。

 時折帰省する娘を見るたび、私の中には二人の私が現れる。帰省を素直に喜んでいる私と、これが私の娘かと反発する大人げない私と。

 23枚をずらりと年齢順に並べ一枚目から見つめてゆく。それぞれの年賀状からさまざまな出来事があふれてくる。保育所や小学校からはなかなか先に進めない。私の成長はやはりそこで止まっていたようだ。

 来年も娘の年賀状を作れますようにと大人げなく願っている。

産経新聞 令和六年一月十日号

 これを投稿した方、皆さんは男性、女性、どちらだと感じましたか? 私はてっきり母親が娘のことを思って書いたエッセーだと思ったのですが、最後に「中村聖司郎(61) 和歌山県紀の川市」とありまして、お父さんでした。

 

母の情

 明治から大正時代にかけて活躍した歌人の与謝野晶子さんは六男七女、十三人の母親でした。産めよ増やせよと叫ばれた時代でも十三人というのはなかなかありません。私の父親が七人兄妹ですから、その倍です。残念なことに十三人のうちの二人は早逝されたそうですが、それでも十一人ですから大変な子育てです。

 その与謝野晶子さんが、お産の大変さについて「盲腸の六倍痛い」「死刑前五分間」という言葉を遺しています。よくお産が軽い、重いなどと聞きますが、出産経験のない男性にはわからないことです。しかし一方で、お産の苦しみを経て生まれてきた子はみな「比べものもないほどかわゆう思われます」とも書いています。子供を慈しむ母親の情は深いものです。

 

逆 縁

 仏教に「逆縁」という言葉があります。逆とは逆さま、縁は良縁悪縁というときの縁です。縁が逆さまとはどういうことでしょうか。逆縁にはふたつの意味があります。ひとつは仏に反発し、仏の教えをけなすような行為をしていたことが逆に仏道に入る因縁となることをいい、もう一つは、悲しいことですが、年長者が年下の供養をすることをいいます。特に子供が親より先に逝き、親が子の供養をしなければならないときにそのような言い方をします。

 お釈迦さまはこの世の中は「四苦八苦」に満ちていると説きました。「生・老・病・死」にまつわる四苦と「愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦・怨憎会苦」の四苦、四と四を足して八、八苦です。四苦は自分に起因する苦しみだけではありません。自分に近しい人が被る苦は自分の苦しみともなります。

 愛別離苦は愛する者と別離する苦しみです。その究極は死によって大切な人を失うことです。生きているということは、誰かを見送る側に立つということでもありますが、親が子を亡くすことほどつらい苦しみはありません。

 

突然の訃報

 祖師堂で月に一度、小筆書道教室を指導して下さっている堀井寛斎先生が先般、四十七歳の若さで急逝されました。

 お寺では毎年節分の日に長寿札を奉って法要を営み、その年がお祝いに当たるお檀家の長寿への感謝と、益々の除災得幸を祈願しますが、堀井先生は毎年そのお札作りを手伝ってくれていました。お亡くなりなる十日ほど前にお札を収めていただいたばかりです。

 先生は旅を好み、作品の構想を深めるために日本各地を訪れたそうです。そんな旅の途上でのことでした。まったく思いも寄らない訃報に接して言葉を失いました。お母様も書の道を歩まれている方ですが、その悲しみと落胆を思うとなんの慰めの言葉も見つかりません。

 

目に見えるあぶくと、見えないあぶく

 住職をしておりますとあって欲しくないことですが、若くして亡くなられた方の葬儀を勤めなければならないことがあります。それは本当に辛く、悲しみに沈んだ人を助けることができない自分の無力さをただ痛感するばかりの時間です。

 しかし、それでも式を勤めなければなりません。一緒にお経をあげてくれる若い僧侶達とせめて荘厳な儀式にしようと、柩に向かって手を合わせます。

 『方丈記』の一節に

 「ゆく河の流れは絶えずして

 しかももとの水にあらず

 よどみに浮かぶうたかたは

 かつ消えかつ結びて

 久しくとどまりたるためしなし」

と有名な書き出しがあります。

 眼前の川を眺めていると淀みにぽつんとひとつのあぶく(うたかた)ができます。もう一つ、さらにもう一つとあぶくが水面に浮かんできます。しばらくすると下流に向かってそのあぶくが流れていきます。すぐにはじけてしまうあぶくもあれば、目が届かない先まで流れていくものもあります。同じあぶくなのに、なぜすぐに爆ぜてしまうものもあれば、長く流れて行くものもあるのでしょうか。

 水面にあってくれれば目で見ていることができます。しかし、はじけてしまうともう見ることができません。見えなくなったあぶくはただ消えてしまったのでしょうか。

 川の流れは時の流れです。消えたように見えるあぶくは消えたのではなく、大きな時の流れの中に戻って行ったのです。まだ水面に浮かぶあぶくも、爆ぜたあぶくも同じ時の流れの中を流れているのです。消えたわけでも、別々になったわけでもありません。

 「堀井先生は今、あぶくがはじけたように突然に消えてしまったように思われるでしょうが、それは消えてしまったのではありません。これからもお母さん、妹さんが歩いていかなければならない時の流れの中を一緒に歩いているのです。同じ時間の中に生きています。残念なことに目で見ることはできませんが、心の中でしっかりとその姿を見ることはできるはずです」と、そんな話をお通夜でさせていただきました。

 

戒名に込めた思い

 先生には「妙行院」という戒名をつけました。「妙」にはいろいろな意味があります。妙子などと女性の名前につけるときの妙は若くて美しいという意味です。巧妙な作りというときの妙はうまくできていて巧み、妙な人と使われるときはよくわからない、不思議というような意味です。妙は美しいもの、巧みなもの、不思議なもの、そして、人知でははかり知ることができないものをいいます。すなわち私たちが暮らす世の中のありようが「妙」ということです。

 「行」は進む、旅、行い、振る舞い、仏教の言葉では悟りに至るまでの実践、修行をいいます。

 妙の中を生きるのが私たちの命です。若くして旅立った先生は書という芸術の世界を探求し、一生懸命にしっかりと生きた方でした。そんな先生を表す字として「妙行院」としましたと、お母さん、妹さんに報告しました。

 悲しい別れの場に立ち会うことは実に辛いことですが、僧侶がそこから逃げることはできません。わたし自身が妙なる世の中を生きているかぎり、行に努めなければならないと思わされる先生の旅立ちでした。

 早いもので来月は祖父の三十三回忌を迎えます。感話会の皆さまには来月のこの会で供養させていただきたく思っておりますので、ご参加いただけましたら幸いです。

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