「四苦しくと受け入れる」

発行日: 2024年 05月15日
成子新聞: 第33号 掲載

令和6年4月20日 法華感話会 法話

「四苦しくと受け入れる」

住職 及川玄一

 皆さん、こんにちは。お運びくださいましてありがとうございます。

 今年はずいぶん荒れた春でした。先月の感話会の時には寒さが残っていて、桜は開花の気配がまったくありませんでした。雨風の強い日も多く、先週行った立正幼稚園(埼玉・熊谷市)の入園式ではちょうど桜が満開でしたが、残念ながら雨の入園式でした。

禍福は糾える縄の如し

 先月の感話会では平成四年三月十九日に亡くなった祖父、及川真学上人の三十三回忌を勤めさせていただき、祖父の生涯を振り返りました。京都市上京区紫野にあった養鶏所を営む家に十一人兄妹の六番目として生まれ、一歳の時に叔母の嫁ぎ先である島根県のお寺の養子になりました。

 養子に出された一番の理由は叔母夫婦に子どもがおらず、跡取りとして期待されたからでしたが、理由はそれだけではありませんでした。自分の後にすぐに弟が生まれるという家庭の中で、ご飯を食べる子供の数を減らす「口減らし」という意味もあったのです。

 「禍福は糾える縄の如し」という言葉を紹介して先月の法話を終えましたが、まさに祖父も「禍福は糾える縄の如し」の人生でした。養子に出され、寺の子として育てられる。そのために東京の学校で学ぶ機会を得る。関東大震災に遭遇する。それが縁となってこのお寺で修行。住職の娘との縁談が生じる。本立寺の住職となり、終戦を経て常圓寺の住職を務めるようになりました。その祖父が亡くなり、もう三十三回忌です。祖父の糾える縄のごとき人生があって、祖父の縒った縄の先に今の私がおり、私なりに縄を糾い続け、そのお陰でみなさんとお会いする機会を得ています。

桜舞うなか出征した息子

 産経新聞に掲載されている「朝晴れエッセー」で先月の月間賞を受賞した文章を紹介します。

   「桜」 田中正子さん(79)

 私の母は桜がきらいだった。お花見にはなぜか行こうとしなかった。

 私は兄が6人いて末っ子、女ひとり。2番目の兄は戦死し、その2年後に私は生まれ7ヵ月で終戦となった。

 母は18で長兄を産み、45で私を産んだ。まさに子育ての一生であったが、さしてそのことを苦にもせずの人であった。

「あの子がいたら男6人、女ひとり七福人やったのにネェ」と誰に言うともなしに言ったのを覚えている。

 母は私が38のとき皆に囲まれ旅立った。

 葬式の席で私は初めて母が桜見にいなかった訳を知った。4人の息子を戦場へ送ったが、2番目の兄が出兵する日、桜が舞っていたという。その兄はビルマで戦死、帰らなかった。

 私は毎年靖国神社に詣で、その足で桜見客の喧騒の中、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かう。桜並木の横の狭い道ひとつ渡った所にある墓苑は人影もまばらで閑散としている。あの時代を知る人は少なくなったのだろう。

 菊の花を手向けると写真でしか知らない兄の顔と母の声が聞こえてくる。

「男の人はお国を守るために戦ったの。女は黙って留守を守ったの」

 もうすぐ、桜の季節がめぐって来る。

(産経新聞 令和6年4月20日)

 田中さんは79歳ですから終戦の年のお生まれです。このエッセーでは桜の季節になるとみんな楽しそうにお花見に行くのに、なぜかその方のお母さんは行きたがらなかったと書いています。

 そして、母が旅立ってからその理由を知ります。桜は次男の出征と戦死を思い出させるものだったのです。文章の最後は「男の人はお国を守るために戦ったの。女は黙って留守を守ったの」との母親の言葉で結ばれていますが、黙っての中に息子さんを亡くされた深い悲しみが伝わってきます。7人兄弟ということですが、どんなに子供がたくさんいても子をなくした母親の悲しみが薄れることがないことを教えられます。

避けられない八つの苦しみ

 春は出会いと別れの季節と言います。人は長く生きれば生きるほど出逢いの数が増えますが、同時に別れも増えてしまいます。演歌の世界ではありませんが、人生は別れの積み重ねのようなものです。

 仏教ではこの世に生きている限り避けられない8つの苦しみを「四苦八苦」といいます。

 四苦とは人生における大きな苦悩、生まれること(生)、老いること(老)、病むこと(病)、死ぬこと(死)です。さらに四苦(生老病死・人生)の中にいくつもある大小様々な苦しみを四つに分類しています。愛するものとの別れ(愛別離苦)、嫌なものとの出会い(怨憎会苦)、望むものが手に入らない辛さ(求不得苦)、心の中の善と悪との葛藤(五陰盛苦)です。

認め、受け入れる覚悟

 四苦八苦とはすなわち人生ですが、そういう人生だからこそ「法華経」の教えが生きてくるのです。ただし、法華経は安易な文章ではありませんから、解かれていることの真意を理解するのは困難でもあります。私も二十代の頃からいくつもの解説書に手を伸ばしていますが、腑に落ちる出会いは少なく、唯一私を諭してくれているのが久保田尭隆著『目からウロコの法華経講話』(全七冊)です。私が今まで読んだ法華経の解説本で一番わかりやすい本です。著者の久保田尭隆氏は神奈川県にある日蓮宗の寺の住職で、年齢は私より4つ上です。久保田上人は池上本門寺の月刊誌『池上』で「法華経に学ぶ」という法華経講義を連載されていたのですが、最新号の紙面にこんなことを書かれていました。

 まず私は七十歳まで生きることは無いと思います。現在六十四歳、もしかすると二、三年かもしれません。

 お医者さんは責任があるので短く仰います。つまりは死ぬということなのですが、全ての人が生まれた瞬間から死に向かって歩んで行くのは間違いのない事実です。死なない方法はただひとつ、生まれてこないことです。

 そして私は六十四年前、死に向かっての生を享けました。そして今日までを振り返りますと、六十四年間どれだけステキな人と出逢って来たでしょう。両親、兄弟、友人、妻、子供、孫、小中高大でお世話になった多くの先生方。ご指導いただきました先輩のお上人方、手を携えていただいた同年代のお上人方、私を支えて下さった多くの後輩のお上人方。そして何よりもたくさんのお檀家さん、ご縁のつながりを数え上げれば一晩かかると思います。

 私は幸せでした。生まれて来て良かったと思ったのですから、ここは浄土です。そして死後の世界を経由して再びこの世に戻る時、そこはまた浄土であることを願っています。

 化学療法が少し効いてくれたら、もう少し寿命はあると思います。どこかでお目にかかった折には、声をかけてください。お互いに、合掌しましょう。憎んだ者は憎まれる。恨んだ者は恨まれる。そして拝んだ者は拝まれるのです。またお逢いする日まで。

 

 久保田上人が癌との闘病をなさっているなど全く知らなかった私は大きなショックを受けました。「全ての人が生まれた瞬間から死に向かって歩んで行く」、「死なない方法はただ一つ、生まれないこと」と述べられながら、上人は病と死を数々の出会い、縁の喜びの中に受け入れようとなさっています。

 四苦とともにあるのが人生ですから、避けられないことではありますが、尊敬する方の別れの言葉は辛いものです。

 

定めを抱える同じ仲間

 「散る桜 残る桜も 散る桜」

 江戸時代、良寛和尚がその臨終の床で詠んだ辞世の句です。

 「散る桜」は死の時を迎えた自分、「残る桜」はそれを悲しんでくれる周りの方々のことでしょう。「私は今旅立とうとしているけれども、皆さんもいずれは旅立たなければならない、私と同じ諸行無常の世の中を生きているのです。死は誰にでもあることですから、私が散っていくことだけが特別なことではないのです。だからそんなに嘆かないでください」と死と人生の無常を臨終の床で説かれました。

 エッセーの母親は戦死した息子の死を黙々と耐え、寿命を全うされました。久保田上人は癌との闘病の中に生老病死を受け入れ「憎んだ者は憎まれる。恨んだ者は恨まれる。そして拝んだ者は拝まれるのです」とお別れの言葉を残されました。良寛和尚は散る桜の例えの中に諸行無常を説かれました。母が生きた時代は昭和・平成、久保田上人が生きたのは昭和、平成、令和、良寛さんは江戸。鎌倉時代を生きた宗祖は「まず臨終のことを習うて、後に他事を習うべし」とおっしゃられました。どの時代の人も四苦八苦の中を生きているのです。

 ご清聴ありとうございました。

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