祖父三十三回忌

発行日: 2024年 04月15日
成子新聞: 第32号 掲載

令和6年3月20日 法華感話会 法話

「祖父三十三回忌」

住職 及川玄一

 みなさんこんにちは。今日はお彼岸のお中日です。感話会の日でもありますから良いお天気をと願っておりましたが、予報通りの雨になってしまいました。

 「季報」でも報告をさせていただきましたが、お寺に長く勤めた三名の僧侶がこの三月で出立することになりました。

 田中秀尚上人(平成十七年二月から在山、広島県三原市寿徳寺)、功刀久士上人(平成二十一年三月から在山、山梨県昭和町正覚寺)はそれぞれ自坊へ戻ります。また、森本晃成上人(平成二十七年三月から在山)は、岡山市蓮光寺にご縁をいただき、今秋には住職に就任する予定です。

 当山にとって大切な戦力であった彼らがいなくなってしまうことは大きな痛手でありますが、それぞれの将来を考えたとき、頑張ってと背中を押してあげなければならないときであると思っています。皆さまにも彼らの旅立ちを祝っていただければありがたく思います。

生い立ちと当山との出会い

 今日は平成四年三月十九日に亡くなった祖父、当山三十七世及川真学上人の三十三回忌を勤めさせていただきました。祖父はこの常圓寺、また、八王子本立寺、京都本山妙覚寺の住職を歴任し、四十数年前にはアメリカのサンノゼにもお寺を建立しました。

 その他にも、立正大学の理事長として熊谷キャンパスの開設、その隣接地には立正幼稚園を創立しました。青年時代には心理学の教員として大学で教鞭をとり、地域では保護司や教誨師の仕事もしていました。また、戦争中は二度の徴兵を経験しています。

 最も長く勤めたこの寺の住職としては、在任期間中常に地方からの学生を預かり、寝食を共にしてその訓育に勤められました。

 祖父は京都市、今の上京区紫野に、後藤家、十一人兄妹の次男として生まれました。家業は三千羽もの鶏を飼う養鶏所だったそうです。

 しかし、一歳の時、母親の姉が嫁いだ島根県、石見銀山の近くにある湯泉津・恵光寺の藤原周学・シナ夫妻の養子に出されました。叔母夫妻に子供がなかった事がその理由ですが、子沢山の家ですから家計を守るために口を減らすということもあったようです。

 養父母は祖父を厳しく、大切に育ててくれました。小学生時代に稽古した書道の作品が残っていますが、実に達筆です。十三歳の時には寺の後継者として十分な教育を受けさせるために上京させ、立正中学に学ばせました。

 大正十二年九月一日、関東大震災が起こります。夏休みを利用して島根に帰省していたのでしょう。再び上京するために東海道線に乗り、沼津まで来たところで列車が止まってしまいました。東京で大きな災害が発生したと知り、徒歩で寄宿舎がある東京をめざしたそうです。

 学校の様子は一変していました。すべての建物が倒壊していたのです。これからどうしたら良いのだろうか、今晩寝る場所もありません。そんな不安の中で、中学に入学するときに保証人を引き受けてくれた常圓寺の住職、及川真能上人を思い出します。

 不幸中の幸い、当山は倒壊も火災も免れていました。ようやく新宿にたどり着いた祖父を真能上人は暖かく迎え入れてくれました。約百年前、祖父が十六歳のことです。

戦後の復興に邁進          

 こんな経緯があって祖父は常圓寺から大学に通うようになりました。

 昭和六年、二十三歳の時には、真能上人の弟子で常圓寺三十六世柴田一能上人の長女と結婚。真能上人の両養子となり、姓が及川に変わりました。

 昭和十二年、二十九歳で八王子・本立寺に入山。戦争が始まると出兵し、終戦は千葉県の館山で迎えました。昭和二十年四月の空襲で当山は全焼、戦争が終わる十日ほど前には住職をしていた本立寺も空襲で灰燼に帰しました。復員して最初にした仕事は、バラックを建てて、境内を耕し、食料を作ることでした。

 昭和二十四年、本立寺の本堂再建に着手、二十八年に今もある本堂を完成させました。その同じ年、当山では今の書院、帳場がある建物を日野市の豪農から譲り受けて移転し、少しずつ伽藍の復興を進めました。

 終戦から二十年余、昭和四十二年にこの本堂が竣工し、ようやくおおよその復興を果たしました。

 祖父は責任感がとても強く、お寺の復興が一段落すると大学の理事長として学校の財政再建、基盤の確立に奔走します。熊谷に新キャンパスを開設、大崎の本校には新校舎や図書館を建て、学習環境を整備しました。

 宗門、法縁においては衰退していた京都本山妙覚寺の住職を兼務して、寺観整備に務め、運営の妨げになっていた懸案事項を一つずつかたづけました。また、カリフォルニア州サンノゼ市に妙覚寺別院を建立するなど、海外布教の後援にも力を尽くしました。

 ダイジェストで祖父の事跡を辿りました。遺された事業はどれも立派なものばかりですが、それ以上にそのことを成した祖父の姿に深く感銘を受けます。

仏々現前

 今から四十年前、昭和五十八年三月の感話会での祖父の法話が残っています。

 前日に行われた熊谷・立正幼稚園の卒園式のことからその日の話は始まりました。自分は長年教誨師や教員をしていた経験もあり、大人に対して話をするは何の苦ではないけれども、子供に話すのは不得手だとぼやきながら、幼稚園に掲げた祖父が墨書した「仏々現前」という言葉に話は移行していきます。

 「仏々」は仏さまが並んでいる様子、「現前」はまさに眼前にあるという意味で、仏さまは高い、立派なところに祀られていると思われがちだが、それは違う。今、まさに私たちの目の前にいる。園児一人ひとりがみな仏さまなのだ、それを伝えたくて、「仏々現前」という字を書いたと語っています。

 そして、その日に読んだ日蓮聖人のご遺文『随自意御書』の「麻の中の蓬、筒の中の蛇」という一節を引き、横に広がって生える習性がある蓬も、まっすぐに伸びる麻の茂みの中に育てばまっすぐに伸びる、体をくねらせて進む蛇も、筒の中に入れば体がまっすぐに伸びるように、人もまたその環境に大きく影響されるもので、良い環境の中に身を置けば必然的に良い人になっていくものなのだ、と説きます。

 また、幼いころに育った実家の養鶏所で見たこと思い出しながら、生まれたばかりのひよこは目の前に動くものがあると後ろへついて歩く癖がある。紙くずが風で飛ばされるとぞろぞろとその後を追いかける。動くものの後をついて行く。それが園児ですと。小さいときというのはみんな同じで、親がなんだこうだと口で教えてくれたわけではない。親がやっているその仕草というものを真似ながら後をついてく、それをお祖師さまは「麻の中の蓬」とおっしゃてるのです、と話されました。

禍福は糾える縄の如し        

 「禍福は糾える縄の如し」という格言は誰の人生にも当てはまる一種の真理と私は受け止めていますが、祖父の人生においても然りと感じます。

 幼くして親の手を離れて養子に出されます。関東大震災のような大きな天災に遭遇し、戦時中は兵隊として出征もしました。空襲で住職として守るべき寺は全焼し、灰燼に帰します。予期しない災いの連続でした。それでもくじけることなく、縄を縒るごとくに目の前のことに真摯に取り組み、一つずつきちんと解決して行きました。

 同じ日の法話でこんなことも語っています。「私は鶏屋の子供なんです。本当ですよ。十一人の兄弟で、私は六番目にできた子供なんです。すぐに弟が生まれた。昔は人工栄養がないでしょう。粉ミルクというものがないから、母親のおっぱいが無ければ、貰い乳をするか、乳人を付けるかそんなところです。ところが十一人も子供があるような家は、まあそう豊かではないんですよ。この子をじっとしとくと育たないというのだからしょうがない。私は下が生まれたから貰われて、よそへやられちゃったんです。やられたので、今日の結果から見ますれば、よく生きながらえたことにもなるし、残った兄弟を見ると、正直なところ教育もそう満足に受けてない。私なんか貰われた先が一人っ子で大事にされて育てられたから、学校にもやってもらえた」

 何がどうなるか、先のことは分からないのが私たちの歩く道、人生です。叔母夫婦に貰われたことで学ぶ機会を得、上京するきっかけが生まれました。関東大震災が祖父と常圓寺との縁を結びます。禍福は糾える縄の如しです。

 今日、私たちは糾った縄の延長に三十三回忌の法要を営ませていただきました。祖父の存在、その人生は私たちがこうして会えることの一つの原点です。その原点に感謝を捧げる機会を持てましたことに感謝申し上げます。本日はありがとうございました。

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