令和元年八月 法華感話会法話
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発行日: 2019年 09月10日
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成子新聞: 第3号 掲載
令和元年8月20日 法華感話会 法話
住職 及川玄一
7月はお施餓鬼があり感話会はお休みでしたから、この新聞には以前から皆さんにお話ししたいと思って切り抜いていた産経新聞の記事を転載しました。平成18年11月29日付「正論」欄に、村上和雄筑波大学名誉教授が「『いのち』はなぜ尊いのか」と題して書いたものです。
8月は戦争を感じる月です。終戦の日が近づくと関連する番組が多く放送され、改めて平和の大切さ、命の尊さを感ぜずにはおられません。しかし、「なぜ命は尊いのですか?」と問われると、易しいようで難しい質問です。
村上教授によれば、私たちの命は遥かな遠い昔から伝わっているといいます。どのくらい昔かというと38億年前。この地球に初めて生き物らしきものが生まれたのが38億年前なのだそうです。そこから少しずつ進化し、やがてヒトというものが生まれるわけです。ヒトの前の時代がある。もっと古く見つめなおすと、宇宙が始まらないと地球も始まらない。その宇宙は138億年前にできたとされています。そう考えますと、私たちの命にはとんでもなく長い歴史があり、その長い間ずっと、命が受け継がれてきたからこそ今があるということです。
では、命が受け継がれるとはどういうことでしょうか。それは「遺伝子」。私たちは皆、親から遺伝子を受け継ぎ、その親もまた親から遺伝子を受け継ぐわけです。「そのような受け継ぎが何億年も続いて今がある。一つ欠けても今はない。それほど長く受け継がれてきたものであるから尊いのだよ」ということを村上教授はおっしゃっているのです。
昨日(8月19日)の産経新聞「朝晴れエッセー」というコーナーに、大川千佐子さんという三重県四日市市の43歳の女性の文章が掲載されていました。タイトルは「瓜二つ」。
その方はお父さんと瓜二つで、周囲からあまりにも「そっくりだね」と言われ、思春期の頃には父親に似ていることが嫌で仕方なかったのですが、ある時、転職先の面接官から「もしかして○○くんの娘さん?」と声をかけられ、〝顔パス〟で採用されるという出来事があったそうです。「お父さん、元気にしてますか? 瓜二つの顔もなにかと得してるよ。ありがとう」とエッセーを結んでいました。
お父さんと顔がそっくり。わかりやすくいうとこれが遺伝子です。顔が似る場合もあれば、性格が似る場合もあるでしょうし、手先の器用さ、味の好みが似るなどもあります。遺伝子があるがゆえに親子はどうしても似てしまうのです。
遺伝子の力、それは人間の本能というのでしょうか。人間が子孫を残したがるのは、人間がそう思うのではなくて、遺伝子自体が残したがるのだそうです。今は少子化の時代ですが、子孫を残したいと思う遺伝子が少なくなっている時代ともいえます。これは大変危惧されることですが、遺伝子は本当にすごいもので、自分が犠牲になって他の遺伝子を生かすということすら考えてしまう性質もあるのだそうです。そう考えれば、ひょっとしたら「今の地球は人がいっぱいだよ」「環境が悪いから厳選した遺伝子だけ残そう、それがみんなのためだよ」などと、遺伝子同士の相談があるのかもしれません。それほど遺伝子は、いかに生き抜くかを必死に探り、次へ繋げることを大切にします。
『日蓮宗新聞』の8月10日号、皆さんのお宅にも配達されていると思います。1面にアメリカで初めて英語による「僧道林」が開かれたことが載っていました。日蓮宗では僧侶の資格を得るための修行として、身延山で行われる「信行道場」があります。「僧道林」はその修行に入る前の勉強をする合宿です。
これまで外国の方たちが僧侶になるためには、一生懸命に日本語を勉強しなくてはなりませんでした。日本語はとても難しい言葉です。ましてお経を漢字で読んだり書いたりとなると、その段階でノーサンキューとなってしまいます。そうならないように、英語で勉強をし、テストを受け、身延山で修行をするときも英語を話せる先生方が指導してくれるということが決まりました。その実施に向けて「いよいよアメリカでの僧道林の開催が始まりました」との記事だったのです。
巡り合わせとでもいうのでしょうか、不思議なもので日蓮宗新聞が届く二日前、千葉のお寺の娘さんで、現在シアトル日蓮仏教会で主任(住職)をしている村上さんというお上人が常圓寺を訪ねてくれました。シアトル日蓮仏教会は30年前、私が25歳からの5年間、主任を務めたお寺です。お盆に合わせて家族で千葉に里帰りしている合間に、挨拶に寄ってくれたのです。
その時、村上さん家族と若いハーフの青年が一緒でした。村上さんに「及川先生、この青年誰だかわかる?」と聞かれましたが、すぐには思い浮かびません。「これがその時の僕です」と言って彼が見せてくれたスマートフォンの画面を見て、あのころよくお寺に来ていたジョンだと思い出しました。
30年前、シアトル日蓮仏教会では毎週日曜日、午前中は日本語、午後は英語で法要をしており、その前には小さな子どもたちが仏教の勉強をする「サンデースクール」の時間がありました。ジョンはお祖母さんに連れられて、毎週のように来ていた少年でした。
どちらかというと口数の少ない男の子でしたが、37歳になったジョンは立派な青年になっていました。そのジョンから英語で「実は僕、来年信行道場に行きたいと思っています」と言われ、まさかと思いつつ、驚きと感激で胸がいっぱいになりました。25歳でシアトルに渡った私は未熟で、何とか法務をこなすだけで精いっぱいでした。教えられ、励まされながらの日々でしたから、ジョンに対しても十分なことはできませんでした。それなのに、あの時にお寺に来ていた幼気な少年が、僧侶の道に入るというのです。
思い返すとジョンのお祖母さんは一世の日本人で、一家の先祖は岡山県です。岡山といえば、〝備前法華〟という言葉がある通り法華経信仰の篤い土地柄です。彼のひいおじいさんの実家は日蓮宗のお寺だったそうです。ですから、ひょっとしたら先祖の遺伝子がひ孫に受け継がれ、彼の「僧侶になる」という決意を応援したのかもしれません。
後日届いた日蓮宗新聞の一面にジョンの姿がありました。「先祖方の信心、祖母の優しさ、幼いころからのお寺での日々、そんな時間の経過の中で〝信心〟が遺伝子に植え付けられたのでは、遺伝子はそういう力を持っている」、彼を見てそう思ったのでした。
東京オリンピックが近づき、関連するイベントも多く、一層にぎやかになりそうですが、私たちの命の継承は聖火リレーに似ていませんか。一人ひとりのランナーが確実に聖火を受け継ぎ走らなければ、国立競技場の聖火台に聖火は灯りません。だれかが走るのは止めてしまったら、火が消えてしまったら…、聖火台に火を灯すことができません。私たちの命もそうですよね。
今日は遺伝子の話をするつもりではなかったのですが、前号で遺伝子の話を紹介してから、産経新聞のエッセー、ジョンの来寺、日蓮宗新聞の記事…と、遺伝子を想起させる文章や出来事が重なったので、こんな話になりました。ご静聴ありがとうございました。