令和元年九月 法華感話会法話
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発行日: 2019年 10月10日
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成子新聞: 第4号 掲載
令和元年9月20日 法華感話会 法話
住職 及川玄一
先日、山口県に住むお檀家さんから訃報が入りました。亡くなられた方は東京の方ですが、故人の奥様のお母さんが山口県で一人住まいをしていて、その世話をするために昨年山口に移られたんだそうです。喪主になる奥様と相談して、本来でしたら菩提寺である当方から僧侶がうかがうべきですが、遠方でもあり、学生時代に常圓寺で修行をしていた防府市のお寺のお上人に私の代理として葬儀をお願いすることにしました。
葬儀の際ご戒名をつけるとき、いつも悩むのが旅立つ方のお人柄やご功績を戒名に使う七字九字中にどう表すことができるかということです。少しだけでも亡き方について知りたく、奥様にご主人のことを聞く時間をいただきました。
いちばん故人のお人柄として印象深かったのが、とても優しく誰に対しても分け隔てのなかったということです。はて、分け隔てのないというお人柄を漢字でどう表したらよいでしょうか。分け隔てがないは平等ということですから、素直に「平等院」でも悪くはありません。京都の宇治・平等院と同じで、格式を感じてもらえるかもしれません。しかし、しばらく悩み結局、「春秋院」という院号をお付けしました。春と秋という文字から季節がもつ穏やかさをイメージし、また、春秋のお彼岸のお中日は昼と夜の長さが同じ、半々ということで平等ですから、分け隔てのないというお人柄に通じると考えたのです。戒名の一字一字の意味を説明する手紙を書き、葬儀をお願いするお上人を通してお渡ししましたが、奥様にはどのように受け止めていただけたでしょうか。
お彼岸のお中日は、中道、真ん中を歩みなさいという仏様の教えを象徴する日です。真ん中ということは偏らないということです。しかし、偏らずにありたいとは思っても、我々の命は平等ではありません。寿命、性別の違い、背の高い低い、足の速い遅い、器用不器用など、どちらかというと不平等なことばかりです。そういう命を生きる我々が真ん中を歩くのはなかなか難しいことです。それ故に年二回、お彼岸のとき、中道、真ん中を意識することが大切なのだと思います。
今日は法要の後、淀橋七地蔵をお参りしていただきました。ご存知のように七地蔵は、昭和初期、新宿区となる前の淀橋区の時代、養父母、貰われた夫婦の手によって無惨に殺された男女七児の慰霊をするために建立されました。本来なら実の父母に育ててもらえるはずの小さな命が、両親と縁が薄く貰われた上にむごたらしく殺されてしまったのです。
あまりにも悲しい事件でしたから、警察署長はじめ近隣の方たちが当時の住職であった三十五世及川真能上人に相談し、お寺が施主となって供養しました。やがて風の便りにその話を聞いた青山の石屋さんが心を打たれ、一体ずつあの七地蔵をこしらえ寺に奉納してくれました。
以来、町会、助産婦、医師など有志の方が七地蔵供養会を組織して毎年秋のお彼岸に供養をして下さいました。それでも、月日がたつ中、会を続けることが難しくなり、何年か前からはお寺が主体となって供養するようになりました。また、七地蔵の隣には新宿水子地蔵も建てられ、七児の供養と共に、生まれることができなかった命を大切に供養させていただいています。
室町時代、一休禅師というアニメにもなったお坊さんがいました(小僧時代の一休さんですが)。その一休禅師がある方からおめでたい言葉を揮毫してほしいと頼まれ、「父死 子死 孫死」と墨書しました。しかし、これをもらった方は首をかしげるばかりです。どこにもめでたさが感じられないからです。ところが一休禅師は「いやいや、これほどおめでたいことはない。もし自分より先に子が死んだらどれほど悲しいか。順番通りに旅立つことほどありがたいことはないではないか」と説いたのです。本当の悲しみは経験した人にしかわかりませんが、親にとって子供が先立つことほど悲しくつらいことはないはずです。また、そういう経験をする人は少なくありません。これも人生が不平等であることの一つでもあるでしょう。
子供の死について、仏教とキリスト教では考え方が違います。イタリア人のカトリック神父、フィナテリという方が書いた『キリスト教の常識』という本に次のような記述がありました。
「生まれたばかりの赤ん坊が死んでいく悲しい例も私は知っている。罪なき赤ん坊はそのまま天国に迎えられるというのがカトリック教会の立場で、赤ん坊の葬式は死を悼むよりも、まっすぐに神の懐に帰った喜びを強調するのが習慣だ。とはいっても、私はやはり小さな棺を前に祈るとき、涙を抑えることができない。」
キリスト教では亡くなった後、信仰者だけが天国に行くことができ、信者でない人は地獄に落ちると教えますが、子供は信者であろうとなかろうと無条件に神様のもとへ行くことができるのだそうです。だから子供の葬儀は死を悲しむというよりも喜びの儀式になるというのです。しかしこの牧師さんは、教義的には喜びでも小さな棺の前に跪いたときには悲しいという思いが強いとおっしゃっています。
では、仏教はどうか。皆さん顔をしかめるかもしれませんが、仏教では親より先に旅立ち、親を悲しませた子供は罪が重い、罪深いと受け止めます。子供は死んでも賽の河原で三途の川を渡る船に乗せてもらえません。だから深い罪を償おうと子どもたちは河原の石をたくさん積んで仏さまの塔を作り、必死に功徳を積もうとします。それなのに恐い鬼がやって来て塔を崩し、子供の功徳を消してしまいます。
キリスト教では「罪なき赤ん坊」といい、神様のもとに行けるという保証がお母さんお父さんの気持ちを救ってくれるのに対し、仏教の考え方にはまったく救いがないように思えますよね。しかしそうではないんです。親を泣かせたことが罪ならば、親がいつまでも泣き続けていたらいつまでたっても子の罪は消えないことになります。つまり、つらくても親は子のために涙を止めなければならないのです。子を亡くすという絶望、立ち上がる力が湧かない父母に、それでも今日や明日という日はやってきてしまう。生きる、頑張るきっかけを与えてくれるのが、子のために涙を流すことを止めなければならないという仏教の考えではないでしょうか。
そして仏教には励ましだけでなく、救いの存在もあります。鬼にいじめられる子供を救ってくれる菩薩です。それは今日皆さんがお参り下さったお地蔵さんです。「地蔵」の地は土地、地所。蔵は物がたくさん収まっているところです。地蔵はたくさんの土地、大地を意味します。すべての命を養い育む根本が大地です。お地蔵さんには大地の功徳、一切すべてのものを守り、育て救ってくれる菩薩さんなのです。
徳川家康も深く地蔵菩薩を信仰していたといいます。武士は戦いを本務とします。勝者、多くの人を危めた武士ほど立派な武将と称えられます。しかし、仏教では殺生は罪です。自分が罪びとであるとの認識があるからこそ家康は地蔵菩薩を信仰し、救いを求めたのです。
お地蔵さんはよく村境や道の分かれる追分にお祀りされました。分かれ道、人生の幸不幸、天国か地獄か、なぜ、お地蔵さんが追分に祀られるのか…。だれをも救ってくれる、よい道に導いてくれる存在だからではないでしょうか。
貰い子殺しの犠牲になった子供たちはお地蔵さんの下に埋葬されました。救い難い可哀相な子供たちを助けてあげることができるのは…お地蔵さん、その慈悲にすがることだったのだと思います。
今月もご清聴ありがとうございました。