できるだけ平らに、そしてマイナスをプラスに

発行日: 2020年 12月10日
成子新聞: 第10号 掲載

令和2年11月20日 法華感話会 法話

できるだけ平らに、そしてマイナスをプラスに

住職 及川玄一

 今日、若い僧侶がつけている緑色の袈裟は、手芸会の皆さまがこれまでバザーを開いて積み立ててくださった育英基金からご寄進いただいたものです。バザーは昨年で終了となりましたが、基金を有効活用する一つとして夏用と冬用の袈裟合わせて十六肩を作り、この夏から使わせていただいています。手芸会の方々、長年若者のために力を尽くしていただきありがとうございました。あらためて御礼申し上げます。

 新型コロナウィルスの感染状況を日々睨みながら、感話会再開の時期を見極めておりました。今日こうして皆さまにお参りいただけましたことは本当にうれしいことです。感染しないよう気を付けることは何より大事ですが、できるだけ普段通りの生活をすることもまた大事ではないかと思います。人間は心が健康であって体の健康もついてくるものですから、心の健康を考えた時に今日のようにお寺に来ていただいて、仏さま、お祖師さまに「どうか我々の暮らしをお守りください」とお願いする機会をいただけることはとてもありがたいことではないでしょうか。

常圓寺のコロナ対応

 今、お寺には僧侶である職員が六名、学校に席を置いている随身生が四名、私を含め十一名の僧侶がおります。万が一、山内から感染者が出たとしても、最低限の職務が遂行できるように自宅待機の僧侶(山内の感染に対し無接触扱いになる)二名を置き、感染対策の一環にしています。春以降、幸いにも健康を害するものが一人も出ておりませんが、しばらくはこの体制を続けていかなければならないと考えています。

 おかげさまで家族の方も皆、元気です。皆様方に長年親しくお付き合いいただいた私の祖母も、施設で面会ができない時期がずいぶんとありましたがにこやかに過ごしておりますし、院首である私の父は仏さまの古い言葉を日本語に翻訳する仕事に励んでおり、新しい出版物を出したばかりのところです。母も一切変わらず、今日も感話会に来たいのをがまんしているところだと思います。(実際は来ていました(笑い))

正しく、ありのままに怖がる

 コロナ禍になって物を読む時間が増えました。ただし、情けないことに右から左というか、なかなか頭に残りません。
「天災は忘れた頃にやって来る」
 寺田寅彦という人の言葉だと言われています。寅彦は明治十一年の生まれで、昭和十年に五十七歳で亡くなられていますので、私たちからそんなに遠い時代の人ではありません。父親が土佐藩士であったことから、寅彦は土佐藩の江戸屋敷に生まれましたが、幼いころ故郷の土佐に戻り、長じて旧制官立高等学校である熊本の第五高等学校に進学し、東京大学に学んだ人です。高等学校では五高の英語教師であった夏目漱石の教え子だったそうで、漱石宅に頻繁に出入りし、学ぶことの本質や、芸術・文学等の素養が専門分野の探求に欠かせない価値があることなどを教えられました。やがて一流の物理学者となるわけですが、終生詠み続けた短歌も漱石仕込みです。

 その寺田さんの言われたことに「モノを怖がらなさすぎたり、怖がりすぎたりするのは易しいが、正当に怖がることはなかなか難しい」という言葉があります。「正当」がキーワードです。“正当に、正しく、ありのままに恐がる。”私たちはどれだけ正しく恐れるべき相手を理解しているでしょうか。敵を知らずして十分な対処はままなりません。

 毎日いろいろな報道が我々の目や耳に入ってきますが、知る必要のない情報が多く、正当に怖がるための知識は伝えられていないようにも思います。難しいのは、この病気のすべてを分かっている人は一人もいないということです。でもそれは嘆くことではありません。なぜなら、すべての病気もそうですが自然界の出来事で我々が分かっていることなどごく一部の事象でしかないからです。

 寺田さんの言葉に接し、私はお釈迦さまの教え「中道」が思い浮かびました。なぜなら、お釈迦さまこそ世の中のあらゆる事象を平らに、ありのままに見つめた方だからです。琴は弦を強く張りすぎると音が高くなりすぎ、弦も切れやすくなります。弦が緩いと音がぼやけて聞こえます。弦はほどほどに張ると良い音色が奏でられますよね。「偏りすぎは禁物、真ん中の道が肝要ですよ」といったお釈迦さまの言葉と、寺田さんの言葉に共通するものを感じます。

 この八ヶ月の私自身を振り返れば、これらの言葉を十分に踏まえられていたとはいえませんが、今日皆さんにお伝えしたいと思いました。そんなことを聞いたなと頭の片隅にでも置いていただければと思います。

介護の中の喜び

 昨日の産経新聞朝刊「朝晴れエッセー」というコーナーに載っていた、九十一歳の男性の文章を紹介します。

妻からの贈り物

 私は数年前から認知機能と運動器官の衰え始めた86歳の妻(要介護4)を介護している卒寿を過ぎた老人です。
 厳しい老老介護の日々をよくよく振り返ってみると、いつしか料理がうまくなり、持病の「坐骨神経痛」なども鳴りを潜めている。
 ひと手間でも省きたいとの思いから家事の改善も数知れず、その度にささやかな喜びをふたりで分かち合う。
 温かい人々のおかげで苦しい介護の中にも喜びのあることを知り、2人の顔はおのずとほころぶ。また人様のご恩、ふれあいの喜びは「老いの孤独」も忘れさせ良いことずくめである。
 これらはひとえに、いくつもの死活の大病を乗り越えながら、今では立つことさえできなくなった「妻からの贈り物」だと気がついた。そして笑顔を絶やさず「治ったら私がするね」などの言葉に「一緒に頑張ろう」と気持ちが漲(みなぎ)り「笑顔の尊さ」も教えられた。
 かつて介護に不慣れな頃の私の怒声に、寂しく悲しげな表情で「ほっといて」と言った妻の顔に今でも自責の念に駆られる。
 ショートステイの日数も増えていくなか、介護制度のあるこの国に生まれ合わせたありがたさをしみじみとかみしめている今日この頃である。
老老介護は厳しく、またくじける日も多いが、「自助」「共助」「公助」そして「絆」の底を流れるものは「人間として」助け合う共生の思想ではなかろうか?ここにこそ生きる喜びと力がおのずと湧きいでるに違いない。
 「みなさん、本当にありがとう」「妻よ、ありがとう」

吉田英一(91)神奈川県座間市

産経新聞(朝刊)令和2年11月19日「朝晴れエッセー」より

 何年か前から要介護4になっている八十六歳の奥さんを、年上の旦那さんが世話しています。九十一歳でこのような文章を書くくらいですから、よほどしっかりしている方かと思いますが、家事に無縁だった人にとっての家事は難題です。ご飯を炊く、味噌汁、何かおかずも作るのかもしれません。あるいはスーパーで買って、あたためて食卓に並べることもあるのかもしれませんが、この老男性はかなり積極的に取り組んでいるようです。

 最初の頃は思い通りにいかなくて、強い言葉を奥さんに言ってしまったという反省もあります。大変なこと、つらいこと、思い通りにならないことを少しずつ知恵を絞って、あるいは我慢して、あるいはどこかに小さな喜びを見つけて一つずつ乗り越えていって、やがて心からの「ありがとう」の言葉が出てきました。

 この方の文章を読んで、なぜか日蓮聖人のことを思いました。日蓮聖人は今からちょうど七百五十年前、五十歳の時に鎌倉・由比ヶ浜で頸の座に座らされるも処刑は免れ、佐渡に流されました。頸の座で本当に直接的に刀が振り下ろされるかもしれないという覚悟をし、佐渡に流されるということもまた死を意識しないわけにはいかない処罰でした。当時、佐渡に渡るだけでも危険を伴うわけですし、渡った佐渡での生活も衣食住どれもが乏しいものだったのです。非常に困難なマイナスな状況に追い込まれた中で、日蓮聖人は『開目抄』『観心本尊抄』という聖人を代表する著述を行い、大曼荼羅御本尊を佐渡で初めて認められました。もし、処刑の難に遭われなかったら、流罪されることがなかったら、はたして大曼荼羅ご本尊は描き表されていたでしょうか。自分がいつ倒れても仕方がないという状況があったからこそ、自分の残したいものをできる限り残し、伝えたいものをできるだけ伝えていこうというお気持ちになられたのではないかと私は想像します。

マイナスから生まれるもの

 これが楽な環境にあったのであれば、果たしてそういうエネルギーを持ちえたでありましたでしょうか。マイナスな環境であったからこそ、何かを成し遂げることができたのではないでしょうか。そうならば、マイナスこそプラスを生む大事な要因であり、マイナスもまたありがたいことだという気持ちが芽生えてくるのだと思います。

 日本人は昔から万物すべてに対して敬意、敬いの気持ちを表してきました。「すべてのもの」には、良いことだけではなく悪いことも含まれ、良いことがあった時だけ感謝するのではなく、すべてに対して感謝をする、敬いの心を持つ。日本人の気持ちは辛い時にこそ養われたと言えるのではないでしょうか。

 今、大変な時期にあって、皆さまそれぞれに自分の心を励ましながら日々頑張り、また、今日も出かけてくるエネルギーを持っていただいたのだと思います。それは立派な生活の心がけの賜物です。今日は仏さまに手を合わせていただき、見えないところで皆さまの心の中に仏さまの薬が差し出されたことだと思います。それを素直に頂戴し、心の健康を保つ力にしていただければと思います。今日は本当にありがとうございました。

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