「少欲知足」
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発行日: 2022年 03月14日
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成子新聞: 第16号 掲載
令和4年2月20日 法華感話会 法話
「彼岸に此岸の縁を想う」
住職 及川玄一
お参り下さりありがとうございます。新型コロナウィルスの感染拡大がなかなか収まらず、寒い時期でもありますので、今日はお越し下さる方が少ないのではと心配しておりました。こんなに多くの方がお越し下さって、嬉しいとともに頑張りなさいと励ましをいただいているようで、背筋の伸びる思いもいたします。
常圓寺の新型コロナ感染対策
今流行しているオミクロン株の特徴は感染力が非常に高いことです。常圓寺には私の他に八名の僧侶がおりますが、感染者が一人出ますと他の者全員が濃厚接触者として自宅待機を余儀なくされます。法務に支障をきたすわけにはいきませんので、感染対策として八名いる僧侶を二つの班に分け、班ごとの勤務体制をとっております。普段の法華感話会でしたら四人ほどの僧侶が大きな声でお経を上げさせていただくのですが、今日のように二人ですと寂しいですね。
お寺としてお檀家様の訃報に接っせざるを得ないことも多く、そういう時にきちんと対応させていただくために、今の感染状況の下ではこのような対策で凌いでいくしかないと思っているところです。一月の新年会も、残念ながら皆でお弁当をいただくことはできませんでしたが、それでも何とか催すことができ、私の先輩であります柳家はん治師匠においでいただいて楽しい時間を頂戴いたしました。
話すことへの恐れ
毎月の感話会でどんなお話をさせていただいたらよいか常々考えますが、それと同時に最近は話をしない方がよいのではないかと思うことがあります。なぜそう思うかというと、コロナのことにしてもそうですけれども、世の中のもろもろのことにおいて本当のことというのは分からないことばかりだからです。知ったかぶりをしたり、浅い知識や考察でわかったような顔をしてしまっているのではないかという恐れを感じるからです。
南無妙法蓮華経の「妙」には〈不思議〉〈よくわからない〉という意味があります。世の中のすべてのことは結局「妙」の一字に尽き、ベラベラ話しているのならお題目の一遍でも余計に唱えた方がいいのではないかとそんな思いもするわけです。
つながりの中に生きる私たち
今、とても心配なのがウクライナとロシアの紛争です。我々からすれば非常に遠いところにある、大概の人が行ったこともない国で、なぜロシアはウクライナを攻撃するのか、あるいは攻撃をさせるような振る舞いがウクライナにあってのことなのか、昔から喧嘩が絶えないという間柄の両国なのか、本当のところはよくわかりません。しかし、まったく無縁でもありません。
新聞を読む限りですが、小麦、大麦、トウモロコシなど、穀物の多くを生産する産出国の一つがロシアとウクライナなのだそうです。そのような国で戦争がおきてしまうと、小麦を作るゆとりも、出来た小麦を船に積むことさえできなくなってしまいますから、輸入が滞り当然のように値上がりに繋がります。ですから大半の食料を他国に頼る日本も無縁ではないということなのです。
これが百年前だったら全く無縁であったかもしれません。なぜなら今ほど世界的につながった中で世の中が動いているわけではなく、日本のことは日本の国の中だけでほぼ完結していたからです。
脱原発政策をとっているドイツでは、原子力による発電を何で補っているかというと、ロシアから天然ガスを買っているわけです。それもウクライナの上をパイプラインを通して送っている。その二つの国がいがみ合ったらドイツに天然ガスが通らなくなってしまいますから、ヨーロッパが一致団結してウクライナを守っていこうと口では言っても、天然ガスが欲しいドイツはそうもいかず、なかなか足元もそろわないこともあるようです。つくづく難しいことだと思います。
なぜ、人は戦争をするのでしょうか。今、日本は幸にして八十年間戦争に縁を持たずに来られているわけですが、世界史的にみると戦争がない時代はありません。その都度、戦争はもうやめにしようと反省はするはずなのに、なぜまた始まってしまうのでしょうか。
生きることは、食べること
新年会の法要で、堂内左右にかけた「寿」と「龍」の字の掛軸の意味をお話ししました。
「寿」は〈ことほぐ〉とも読むように言葉にしてお祝いを述べること、また、寿命の寿で〈命〉という意味も含みます。「龍」は天にあって雨水をつかさどる神さまの化身ですから、龍=水です。我々が命を生きるためには食べることが必要で、そのなかでも一番大事なものが水です。ですから命=食べること、食べること=水、水=龍なのです。
ですから、「寿」と「龍」はどちらも命を表しています。その二文字を一月に拝むことができるということは、実は単純なことではなくて、我々自身も生きてお正月を迎えることができたからこそなのです。すべて食べるということが一番の基本にあるわけです。おそらく、戦争も生きる、食べるということのために起きるのではないのか、というのが浅はかである私の見立てです。
生きるために生まれる争い
戦争は地政学に深く関係すると言われます。地政学は、どういうところに山や海、川があって、どういうところに風が吹いてというような地理的条件をもとに国のことを考える学問です。
池浦上人がお寺の新聞に古い歴史を書いておりますが、この辺りは昔、柏木村と言ったそうです。村ということは人が住んでいたということ。人が住めるということは、おそらく食べることができるということです。水も得やすく、寒すぎず暑すぎず、周りに悪い人がいない。安心できる条件が整っているということでしょう。
そして、食べられる場所というのは食べられない場所に暮らさざるを得ない人から見ると、うらやましい場所です。食べるため、生きるためにはそちらの方が絶対に良いわけです。だからその場所が欲しくなってしまうわけです。仲良く一緒に住めればいいのに、「うちには栗の木10本しかないから、人がたくさん住んだら栗の実が足りなくなってしまう。だからこちらには入れないよ」となって争いが起きる。
守る方は自分の食べられる場所を奪われたくないし、攻める方は食べるものがほしい。私の考えは幼稚で単純すぎますが、突き詰めていけば戦争の原因というのは結局生きるため、食べるため、あるいはそれを守るためということにあるのではないでしょうか。
では、どうしたら戦争を無くすことができるのでしょうか。
身をもって示されたお釈迦さま
法華経に「少欲知足」という言葉があります。欲を少なく、足るを知る。皆さんも耳にする言葉だと思いますが、足るを知るというのは、今ある自分の状況を満ち足りたもの、これで十分なのだと思うように心がけること。不満を持たないように努めることです。それが一番大事であり、快適に幸せに生きやすい方法なんだよとお釈迦さまはおっしゃっているのです。
お釈迦さまは八十歳でお亡くなりになるまで、どこかに定住するということはなく、旅を続けられました。八十年間食べたということで、ではどのようにして食べていたのかというと、お釈迦さまは托鉢という修行を毎日行いました。多くの人に慕われた方ですから、通過する村々で食事や宿のおもてなしを受けたと思いますが、基本的に食べるものはすべて頂戴するもの、お布施、いただきものでした。
お釈迦さまがお亡くなりになった直接的な原因も、托鉢でいただいたものを召し上がって体調を崩されたことによると伝えられています。托鉢では肉も魚もいただいたものは何でも頂戴するということが決まりでした。いただいたもので自分の命を生きながらえさせるという修行法でもあるわけです。私はその托鉢行に少欲知足の実践が隠されていると考えます。
お釈迦さまの時代の修行僧は朝と昼の二食だけで、お昼過ぎから次の日の朝日が昇るまでは物を口にしませんでした。また、すべての食事は托鉢による施食でした。それは毎日食事を施してくれる人がいるということにもなるのですが、どんなものをいただくかはわかりません。美味しいものもあるかもしれませんが、自分の口に合わないものもあるかもしれません。貧しい台所から施しをくれた人、子供に食べさせたいものを差しだした人もいるでしょう。だからすべてありがたく、貴いいただきものだったのです。
お釈迦さまは自分の身をもって少欲知足を実践し、その托鉢行によって周りの人も巻き込み、皆が少欲知足の行いをできるように日々の生活の中に働きかけたのだと私は思います。そして最後まで少欲知足を身をもって行う中に涅槃を迎えられました。その行いの根底には、少欲知足こそが、世の仲が平和、すなわち争いごとが少なくなる道であるとの揺るがない思いがあったように思います。