「仏さまを渇望する」

発行日: 2022年 05月16日
成子新聞: 第18号 掲載

令和4年4月20日 法華感話会 法話

「仏さまを渇望する」

住職 及川玄一

本当の自然に触れにくい現代社会             

 今年は境内の桜が見事に咲き、複数のテレビ番組にもとりあげられました。どうしてでしょうか、毎年のことに思えるのですが、桜が見頃を迎えると天気が荒れて花を散らしてしまいます。残念であり、そこに儚さも痛感するのですが、一方で花のあとの清らかで透き通るような若葉はとても気持ちがよく、花が散った後の寂しい気持ちを十分に癒してくれます。しかし、若葉の成長は早く、日々に葉は色を濃くし、瑞々しさはあっという間に失われてしまいます。そんな自然の移り変わりには目をみはるばかりです。

 季節や天候の話題は話しの導入部分には最適と思い、法話の時にもそういう話題を入り口にします。ただ、最近感じることは、今ひとつ聞き手の方に伝わっていないというか、ピンと来ない表情をしている方がいらっしゃることです。天気予報の精度が上がり、多くの方もそこは気にしているようですが季節の移り変わりや、自然の変化に対する感度は鈍くなっているようにも感じます。私がそういうことに敏感なのかといえばそこまでではないのですが…。

 昭和で数えると97年、戦後すでに77年、焼け跡からの復興などという意識はもちろんどこにも無く、多くの人が田舎を出て都会に暮らし、人口が増える一方の都市は郊外へ郊外へと発展しました。それも過去のことになり始めてはいますが…。

 都市とはおおよそ自然のままに残されていた土地を人工的に人が住みやすい環境に作り変えた場所です。人間本位の観点で自然がもつ負の部分を少なくして、良と思える環境を整えた場所が都市です。例えばこの近くを流れる神田川にしても戦前までは江戸時代の様子とたいして変わりのない川だったはずです。台風が来れば洪水もしました。しかし、人が多く暮らすようになるとそれでは困るわけで、護岸工事をします。川辺を歩く人と川面の距離は都市化が進むに従い離れていきました。もちろん川で洗濯をするなどということは遥かに昔のことで、都市とは自然の脅威や災害から人の生活を守るために人工的に作った空間であり、必然的に自然から遠い場所になりました。

自然の中に身をおくことで詠まれた歌

 「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり」
 
 これは曹洞宗の開祖である道元上人(一二〇〇~一二五三)が詠んだ歌です。ご存知の方も多いかと思います。道元上人は一二〇〇年の生まれですから、今評判の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代に重なります。

 春は花と詠みはじめますが、たぶん桜のことでしょう。夏はホトトギスの鳴く声がとてもいい。秋は何と言っても中秋の名月。そして冬ははらはらと降る雪に冴えを感じ、清々しくもあると、日本の四季の移ろいを素直に詠っています。意味もわかりやすく、難しい歌ではありませんから、素人の私にでも詠めるような気がしますが、できないことです。やはり肌身で自然を感じ、そこに生活することで養われた感性がとても重要で、そういったことが無意識に言葉に宿るのだと思います。

(境内のフジ)

仏への渇望

  道元上人の少し前の時代に西行という僧侶がいました。元は武士でしたが、友人を亡くしたことをきっかけに得度したそうです。ことに歌人として後世までその名が伝えられています。特にこの歌は僧侶である私の心には強く響きます。

 「願わくは花の下にて春死なむ。その如月の望月のころ」、訳せばこんなな感じでしょうか、「できることなら花の下で、春、臨終を迎えたい。そう如月の満月のころ」

 春、花の下でということは、おそらく桜の花の下でということでしょう。如月は二月です。ただし、旧暦の二月ですから今の暦では三月中旬から四月初旬になります。ですから桜が咲く季節であっても矛盾はありません。望月は満月のことです。月の満ち欠けを基準とした当時の暦ではその月の十五日が満月ですから、如月の望月のころとは二月の十五日にあたります。

 二月十五日、あっそうかと、気づきましたか。そう、この日はお釈迦さまのご命日なのです。ですから、この歌は桜を好み、花が美しいこの季節に旅立ちたいと願った、それだけの歌ではありません。「できることなら春、桜の下で、自分が大好きなお釈迦さまのご命日に旅立ちたい」と、お釈迦さまを恋慕する気持ちを吐露した歌なのです。

 今日、法要の中で日蓮聖人の『忘持経事』というご文章を読みました。日蓮聖人の弟子である房総に住む富木常忍氏が母親を亡くし、その供養のために遺骨を抱いて遠路身延山にお参りしました。おそらく大願を果たしてホッとしたのでしょうか。氏は大事なお経本を身延山に忘れて帰ってしまったのです。ですから持経(いつも身につけている経本)を忘れる事「忘持経事」、とこの手紙は名付けられています。

 その文章の前半に富木氏の来山を描写した一節があります。「教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝し、歓喜身に余り、心の苦しみ忽ち息む」

 当時、房総から身延山までどれだけの日数がかかったでしょうか。馬、徒歩、富士川を上る舟を駆使しての旅です。天候にもよりますが、五、六日はかかったことでしょう。やっとの思いで到着した大聖人がおいでになる身延山、お堂に入り、お釈迦さまのお像の前に母親のご遺骨を安置して、自分の身を投げ出して合掌をし、両眼を開けてお釈迦さまの尊いお姿を拝したとき、全身から喜びが溢れ出し、ただうれしく、有難く、母親を亡くした悲しみ、苦しみがたちまちに消えたと書かれています。

(身延町を流れる富士川)

仏を慕う気持ちと安心の関係

 西行上人は歌にお釈迦さまを慕う気持ちを表しました。富木常忍氏は母の死に際し、供養の志の中にお釈迦さま、日蓮聖人に対する信頼と思慕の情を表しました。西行上人、富木氏に共通しているのは、慕う気持ちの深さです。心から求めることを渇望するといいますが、二人はまさにお釈迦さまを、また、日蓮聖人を渇望しました。

 富木氏の行動が私たちに教えてくれることは、慕う気持ち、信頼する気持ちが大きければ大きいほど自分が苦しいときに救われるということです。

 渇望する、信頼する気持ちは「信心」と置き換えても間違いないかと思います。渇望、信頼する心の根底には「信」があります。信は誰かに与えられるものではありません。心の中にあるその芽を育てるものです。

 皆さんがお釈迦さまや日蓮聖人を慕う、信頼する、渇望する気持ち、すなわち信心が強いほど、大きな救いを得られます。歓喜が身に余った富木氏の如くです。救いを得られるか、得られないかは日々の安心に大きな影響を与えます。それ故に仏さまを渇望する信心を育てることはとても大切なことなのです。

 しかし、信心を育てるために近道はありません。小さなことをこつこつと続けることが大切です。毎日仏壇に手を合わせること、月に一度はお寺に参ること、できることを少しずつです。そういうことが信心の芽を育て、渇望する気持ちを生んでくれます。その渇望する心こそが救いを導いてくれる力になるのです。

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