「感謝の気持ちで一年を終える」
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発行日: 2023年 02月15日
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成子新聞: 第23号 掲載
令和4年12月20日 法華感話会 法話
「感謝の気持ちで一年を終える」
住職 及川玄一
画家・矢谷長治さんの「柿」
子供が小学生の頃のことですから古い話です。夏に伊豆の下田まで海水浴に行きました。何泊かしたのですが、その旅館に地元の画家の画集が置いてありました。
矢谷長治という方でしたが、素敵な絵を描かれるなと眺めておりましたら、「柿」をモチーフにした絵が目に留まりました。絵には画家の興味深いエピソードが添えてありました。
「だいたい十一月十五日頃から柿がとれる。テーブルの上にたくさんの柿を並べる。
一週間くらいたつと、水分がさがって柿の形が落ち着いてくる。
その中の何個かを選んで描きはじめる。描きだしたら、その柿には指一本もふれない。
ふれると、ふれたところから腐ってくる。
柿を描き続けていると、柿と実際に語れるようになるのは一ヶ月過ぎてから…。
つぶれるまで描き続ける。
三月半ば頃、柿はつぶれてしまう。ただ不思議なことは、モデルにした柿だけが最後まで残る。
毎年、何十年も描き続けるが、例外はない。」
仏教には「山川草木悉皆成仏(山、川、草、木、みな悉く成仏する)」という言葉があります。
山、川、草木、自然界にあるすべての生き物には命が宿っており、みな平等に成仏するという教えです。
「柿と語れるようになる」
「モデルにした柿だけが最後まで残る」
画家の言葉は柿にも心、感情があるということを教えてくれます。
命を支えてくれるもの
私たちは生きるために生き物の命を頂戴しなければなりません。今年もここまで生きてこられたということは三百日以上何かしら食べ続けてきたからです。
食物は直接的に私たちの命を支えてくれますが、間接的に命を支えてくれるものもあります。例えば干し柿。昔の人は食料が少なくなる冬に備えて、柿を保存食にしました。
干柿を作るにはお日様がないと干せません。ただ乾燥させると言っても、寒さと適度な風がなければ熟す前に腐ってしまいます。さまざまな条件がそろってこそ美味しい干柿ができます。間接的な存在であるお日様や寒さ、風もとても大切ななくてはならないものなのです。
火
ウクライナは今冬、マイナス二十度にまで冷え込むと予想され、ロシア軍による激しい攻撃が続く中、寒さによって多くの人の命が脅かされています。そのような暮らしからもし火というものがなくなってしまったら、どうなってしまうのでしょうか。
太古の昔、人類は火を使うことを覚えました。石や木を擦り合わせて火を使い始めると、人の命を奪っていた動物が火の明かりと熱を嫌って近づかなくなりました。その結果、私たちの祖先は地上での安住を得ました。
やがて、火で加熱調理をするようになると、口にできる食べ物の種類が増え、栄養を効果的に摂ることができるようになりました。豊富な栄養は人の脳を大きくし、脳の発達は科学、技術、産業、芸術を生み出す源泉となりました。今、私たちが享受している豊かで快適な暮らしの始まりには火があったのです。
釜〆のお経
火が人の進化と文明の発展に大きく寄与した一方で、人々は燃え盛りすべてを焼き尽くす力をもった火を恐怖し、神聖化しました。
歳末になると寺では檀家さんのお宅に釜〆のお経に伺います。私が小僧として寺の仕事を手伝うようになったとき、父から「暮れのお経はその家の大掃除が終った後に行ったものだ」と教わりました。「大掃除をして台所の煤をきれいに払ったあと、最後の締めとしてお経を上げるのだから」と。いつからか釜〆のお経も仏壇の前で行うようになりましたが、私が若かった頃は台所でお経を上げる家が残っていました。
釜〆のお経は一年間、火の災いがなく、毎日の煮炊きが無事にできたことに対する感謝、すなわち、食、命を養ってくれたことへの感謝を表しているのです。
無我
仏教には「無我」という教えがあります。「我が強い」「自我」などと使う「我」は自分・私という意味です。「無我」は「我」に「無」がつきますから、「自分が無い」と訳せますが、「誰一人として自分だけの力で生きている人はいない」という意味です。言い方を変えれば「私は多くのものに支えられて生きている」ということです。
こうして年末を迎えられますのも、今年もたくさんの人、ものに支えられてここまでくることができたということです。
今日、みなさんと共に一年を閉じる報恩感謝の法要を営むことができました。とても大切なことだと思います。
今年も一年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。