「空気を変えたい」
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発行日: 2023年 06月15日
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成子新聞: 第26号 掲載
令和5年5月20日 法華感話会 法話
「空気を変えたい」
住職 及川玄一
皆さんこんにちは。お参りをくださいましてありがとうございます。暦はまもなく六月、熱中症に気を付けましょうと掛け合う声が聞こえるようになりました。近頃は大きな地震も続いており防災のこともしかり、備えの大切さをあらためて考えさせられます。
後継者がいない方の増加
新年度に切り替わる四月五月は、お寺でも前年度の決算や事業をまとめ、今年度はどのようことをさせていただき、そこにどのようにお金を使っていくのかを検討する時期です。昨年の大きな事業として一番に思い浮かぶのは、本堂の正面階段を下りて左手にある「萬霊供養塔」の墓誌を拡張したことでした。
萬霊供養塔は二十五年前に今のように整理されました。五年ほど前に私が住職となった時にはすでに、埋葬された方々のお名前を刻む墓誌がいっぱいになりつつありました。そこで慌てて石板を倍の大きさにして急場をしのいだのですが、そのスペースも少なくなり昨年、四倍ほどに広げたものです。
新型コロナウイルス感染症の蔓延がおおよそ終息し、萬霊供養塔を希望する方がまたたくさんお見えになるようになりました。今までお墓を代々受け継いできたけれどもお子さんに恵まれなかったご夫婦、娘さんがいても嫁ぎ先のお家のお墓を守らなければならいので、という親御さん、息子さんが独身でこの先も結婚することが考えにくいので自分の代できちんとしておきたいという方など、さまざまな事情のご相談をいただいています。
少子化問題
お墓の後継者の問題は、少子化と深くつながっています。昨日から広島で先進七カ国首脳会議が開催されていますが、少子化は日本だけでなくフランス、イギリス、ドイツ、イタリアなど先進国といわれる国々が一様に抱える問題でもあります。
唯一アメリカが違うのは、たくさん移民が入るからです。ただ、人口という面においては増加していますが、白人の数が減り、メキシコなど南米から入ったヒスパニックをはじめとする有色人種の人口が急激に増えているという別の問題を抱えています。
経済力が上がった国が少子化になる傾向があるのは不思議ですよね。昔は豊かでないのに黙っていても子供は増えていました。今は黙っていたら子供は増えませんから、岸田総理大臣もG7サミットが終わったら少子化問題に今までにないほどのテコ入れをすると言っておりますが、果たして応急処置のような対策が講じられるのか難しい問題です。
子供の成長を祈って
昨日、八王子本立寺の役員会に出かけました。そこでたまたま思い出したのが、本立寺にお墓のある三田村鳶魚さん(一八七〇~一九五二)です。「江戸学の祖」とも呼ばれた江戸文化・風俗研究家の鳶魚さんは、八王子の織物業界が栄えていた時期に機屋の跡取り息子として生まれました。三田村家は何代も男の子に恵まれず、男の子が生まれても夭逝してなぜか育たないということが続きました。そこで三田村家では男の子が生まれても女の子として育てたのだそうです。鳶魚さんにも女の子の名前がつけられましたが、それでもなかなか元気に育たないので、仏さんの子にしようと近くのお寺に預けられました。仏さんの子になれば何とか成長してくれるのではないかという一縷の望みだったのでしょう。それほど跡継ぎを大事にしたのだと思います。
私の曽祖父にあたる柴田一能上人の戒名は仏子院といいます。仏の子と書いて仏子院。このお話は感話会でも何度かさせていただいていますが、丹後・宮津で生まれた一能上人は三歳か四歳の頃、浜辺で溺れて危篤になり、母親が「もしうちの息子を助けてくれたなら、この子は仏さまに差し上げます」と願をかけました。一能上人は一命をとりとめ、母親は約束通り息子を出家させました。一能上人に「子供の頃に仏さまに預けられて仏の子になった」という意識が強くあったからこそ、自分の戒名を仏子院と付けたのだと想像できます。
東北には「取り子(とりこ、とりご)」という風習があったそうです。親がお寺の門前に置いた子供を住職が抱きかかえて引き取り、一定期間を仏さまの子として育てるというものです。三年、五年、七年と区切るのが一般的だったようです。
「取り子」は子供は神仏からの授かりものという考えから始まったものですが、その背景には子供が育ちにくかったということがあったと私は思います。五歳まで生きられれば夭逝する可能性は低くなります。そうやって大事な子を育てようとしたということではないでしょうか。
昔は生まれることができても、生まれてからが問題でした。今は医療、あるいは住環境や栄養が数倍良くなっていますから、生まれてからの問題が格段に減ったわけです。
子供が自然と求められた時代
本立寺の住職をした頃、お経に伺っていた檀家さんに機屋の跡継ぎに生まれた方がいました。若い頃、自分が望んでいた学校に入ることを許されず、織物専門の工業学校に進んだそうです。お酒が好きな方で、「お経に来るときは必ず最後に来てくださいね」といってお酒をごちそうしてくださるのですが、最後は必ず涙ながらに学校に行けなかった悔しい思いをされていました。
昔は「家」という考えがありましたから、守りたいものを持っている人が多かったと思うんです。お百姓さんも田畑があれば田畑に対する思いがありますから、それを受け継いで守ってくれる人が絶対欲しかったでしょうし、商家、商いをやっている方でも同様で、やはり家業があればその家業の後継者というものは自分の子に期待をすることが大きかったのではないかと思います。子供が自然と求められた時代というのは間違いなくあったと思います。
「家」を継承するということ
ゴールデンウイーク中、お檀家の娘さんの結婚披露宴に出席しました。代々なかなか子供に恵まれないお家で、親戚から両養子を迎えたりしてなんとか江戸時代からつながれ、今は医師になったばかりの娘さんが一人。その娘さんの披露宴が立川の自宅の庭、その人が受け継いでいかなければならない場所で開かれました。母親が苦労して一生懸命守り抜いてきた姿を端で見てきたのでしょう。自分が跡取りで、これを守っていかなければならないという気持ちを感じました。
時代の変化というものは大きいなと思います。今、商店街がなくなっているというのはどういうことかというと、家業を閉じる人が多いということです。そうすると社会の大半はサラリーマンで、自分が働いているところに息子にも働いてもらおうという発想は生まれません。そうなると、何かを継いでほしいというものがなければ、そういうふうな気持ちも湧きにくくなるということも、私は世の中の移り変わりの変化の中でひとつあるのかなと思います。
子を授かる喜び
昨年十二月九日付の産経新聞「朝晴れエッセー」に載っていた投稿を紹介します。
「寂しくないかも」
皆既月食が始まったとき、遠くに住む長男夫婦から連絡があった。3人目の子供が元気に産まれたらしい。少子化の昨今、でかしたと褒めてやる。友人は「これで子孫は五人になったな」と言ってくれた。子孫も数えられるようだ。
物心ついたとき、私には祖母がいるだけで両親も兄弟姉妹、叔父叔母もいなかった。無性に寂しく、にぎやかな家が羨ましかった。友達の家のように兄弟ケンカをしてみたかった。父親に怒られ、母親に抱きしめられたかった。
30年後、祖母の介護でほぼ諦めていた結婚ができ、子供を2人も授かった。「にぎやかでうれしいやろ」。妻はそう言って笑った。そしてわが家の兄妹は仲が良くめったにケンカをしない。いたずらもしなかったので、父の私が起こるような場面はほとんどなく拍子抜けした。
さらに子供たちは父が教えたいことは、不思議と先回りして身につけていた。「それ知ってるよ」「同じことを前にも聞いた」と一蹴される。そうか。親ってうざいものなのかと初めてわかった。
そうして私の出番は減り、会話もほとんど妻とだけになったが、それでもよかった。妻がいた。しかし、最初の孫を抱きしめて喜んだ妻が、勝手に逝ってしまったときはまいった。またボッチになってしまったと思った。
だが、長男夫婦と娘が今まで以上に気遣いしてくれ、めったに会えない孫もなついてくれている。なにより、絶えそうだった子孫と家族は増え続けているのだ。ありがとうと妻がいる夜空につぶやく。
相野正(72)堺市美原区
物心ついた時にいた肉親はおばあちゃん一人だけで、両親も兄弟も、叔父さん叔母さんもいない。両親は死んでしまっていないのか、失踪していなくなったのかわかりませんが、当然よその家の団らんはうらやましいですよね。でも、おばあちゃんのおかげで今があるわけで、おばあちゃんの介護はもちろん自分がしなければと思ったでしょう。
でも、自分はそういう家族環境だから結婚は無理だなと思っていたら、そういうことも理解しながら一緒になってくれる女性が現れ、なおかつ男の子女の子一人ずつ授かって良い子に育ってくれた。お兄さんは家族をもってなおかつ三人目の子供も生まれた。奥さんに先立たれたときは参ったとありますが、独りぼっちだった自分が家族に恵まれて子孫が増えていくことは、彼にとってどんなにかうれしことだったでしょう。
一人一人の気持ちが作る「空気」
先月の感話会で因果応報について述べましたが、世の中の歴史の流れの中に少子化になる因果があったのだと思います。我々はその因果に大なり小なり関わってきた当事者です。被害者の部分もあるかもしれないし、加害者の部分もあるかもしれませんが、いずれにせよ関わっているのは間違いありません。我々がこの国で暮らす国民同士、仲間としてある中においては、やっぱり今の結果が出てくる何かというものの原因の中には我々もいたわけであります。
昔は家業であり守りたいものがあったらから、家庭はもちろん世の中が子供を普通に求めていたし、また、子供を授かろうという気持ちが意識せずとも自然とあったという話をしました。それは一つの風潮と言えるものです。
さきほど紹介したエッセーの男性が抱いたような子孫ができてうれしい、ありがたいという風に思う人の気持ちが一人だけでなくて二人、三人、四人、五人、みんながそういう風に思えると、それが風というか、世の中の空気というものになっていくものと思います。
国や政府が少子化対策に一生懸命取り組んでいますが、何よりも日本に暮らして生きている我々が空気を作る大事な役割をそれぞれ持っているわけで、良い空気をつくれるような我々が気持ちを持つということもとても大事だし、私はそこにしか対応策というのはないんじゃないのかなとそんなふうに思うんですね。空気を作るというのは簡単なことではないですけれども、少しずつ少しずつ良い空気を増やしていく、そういう気持ちを持つことからまず始めるということなのではないかと、そんな風に思っています。