「慈雨」
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発行日: 2022年 07月15日
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成子新聞: 第20号 掲載
令和4年6月20日 法華感話会 法話
「慈雨」
住職 及川玄一
皆さんこんにちは。だいぶ暑くなりました。山内には緑や水が適当にあることもあって気温の上昇とともに蚊が増え始めました。厄介なことですが、季節がきちんと変わっていることの証でもあり、ありがたいことと受け止めるようにしています。
雨に濡れて美しい京の緑
先月のこの会で妙顕寺開創七百年慶讃の法要に参列したことを報告しましたが、先週も二泊三日で京都に行きました。京都には日蓮宗の本山が八ケ寺、その他に顕本法華宗や本門法華宗、本門仏立宗など日蓮門下の本山が八ヶ寺あります。その十六の本山を巡ることが旅の目的でした。
梅雨の時期でしたから当然のことではありますが、傘を差しながらの旅でした。ただ、雨のおかげでお寺の豊かな緑が瑞々しく新鮮で、雨天ならではの気持ち良さを感じることができました。
太陽の街から雨の街へ
私はアメリカのサンノゼのお寺に三年、シアトルのお寺に五年ほど勤めておりました。サンノゼはカルフォルニア州にあり、一年の三百日ぐらいが晴天で、砂漠に人工的に緑を植えたような土地でした。夏は気温が四十度以上になる日もありましたが、湿度が低いので家の中や木陰に入るとても涼しく、過ごしやすい所でもありました。
そんな土地で二年ほど暮らした二十五歳のとき、シアトルのお寺に転勤しました。シアトルはイチロー選手がマリナーズに所属したことで有名になりましたが、私が赴任した頃は漁業、林業、航空機産業(ボーイング社の本社あり)を地場産業とするアメリカ西海岸北部の街でした。緯度は樺太と同じで、温暖で雨の少ないサンノゼに比べて、年間二百日以上も雨が降る晴れ間の少ない土地でした。乾燥に慣れた身体が湿気に対応するには多少時間がかかりましたが、雨の多いことの恩恵で美しい湖や森が点在し、エメラルドシティーと称賛されるシアトルでの暮らしを今は懐かしく思い出します。
龍と雨
日蓮宗新聞五月二十日号の一面に掲載されていた友禅染作家・濱本信博氏さんの記事を読みました。濱本さんは染からすべてを一人でこなす日本で唯一の染色作家家だそうです。ご次男が出家したことが縁となり、京都市・左京区にある日蓮宗教法院に襖絵を奉納しました。龍が天を舞う、襖十枚を使った大作です。その開眼法要が営まれた日のことです。
法要当日はとても天気が良く、参列者一同喜んでいました。ところが、法要が始まると空の色が変わり、俄かに雷が鳴り響き、雨が勢いよく降ってきました。ところが、驚いたことにお経が終わると同時に雨がパタッと止んだというのです。
古来から龍は天にあって仏教を守護し、雲を呼び雨を降らす力を持った神として崇められてきました。突然の雷雨を目の当たりにした濱本さんは「まさに龍の目が開かれて、その魂がこの絵に宿ったと確信しました」と語っていました。
法華経と雨
「法華経」では雨が仏さまの教えの喩えとして使われています。第五章・薬草喩品です。
「迦葉よ、喩えば、三千大千世界の山川・渓谷・土地に生ずる所の草木・叢林及び諸々の薬草は、種類若干にして、名・色各々の異なり、密雲はあまねく布きて、遍く三千世界に覆い、一時に等しく灌ぎ、そのうるおいは普く草木・叢林及び諸々の薬草の小根・小茎・小枝・小葉と、中根・中茎・中枝・中葉と、大根・大茎・大枝・大葉とをうるおし、諸々の樹の大小は上中下に随って、各々、受くるところ有りて、一雲の雨ふらす所は、その種性にかないて、成長することを得、華・果は開け実り、一地の生ずるところ、一雨の潤すところなりと雖も、しかも諸々の草木に、各差別あるが如し。迦葉よ、当に知るべし、如来も、亦、また、かくの如し。世に出現すること、大雲の起こるが如く、大音声をもって、世界の天・人・阿修羅に普遍せしむること、かの大雲の、遍く三千大千国土を覆うが如し」。
薬草喩品に書かれている十行ほどの経文を書き下した文章です。迦葉とはお釈迦さまの十大弟子の一人で、小欲知足に徹した修行の第一人者と称えられる僧侶です。もう少し現代語に近づけてみます。
「広い世界の山や川や谷には様々な種類の草や木が生えている。大きなものもあれば中くらい、小さいものもある。大きな木の根っこは広く深く、中くらいのものは中くらいの根、小さなものは小さい根。葉を見ても同じで、大きな木には大きな葉、中くらいの木には中くらいの葉、小さな木には小さな葉。
雨が降れば小さい木は小さい木なりに、中くらいの木は中くらいの木なりに、大きな木はたくさんの雨水をもらい、それを栄養として成長し、やがて花を咲かせるもの、果実を実らせるもの、薬草となるものもある。雲は一つ、大地も一つ、降る雨に違いはない。しかし、雨を受ける草木の成長は自ずと違うものなのだ。
私はその雨を降らせる雲のような存在で、雨が誰か一人の上にだけ降るということがないように、私は常に誰に対しても同じ雨を降らせ、すべてのものに潤いを与え続ける」
仏さまの根底の教えである「慈悲」にはなんら差別はないが、それを受ける側に千変万化の多様性が出ることは必然的であることを雨と草木の喩えを使って説いた経文です。草木の生えている大地は一つ、雨雲も一つ、ところが雨の恵みを受けて育つ草木にはおのずと違いができてくる。人間も同じことで、能力や素質に応じて仏さまの教えを理解して成長していくとの教えです。
都の風水を整える祇園祭
山鉾巡行で有名な京都・八坂神社の祭礼「祇園祭」が三年ぶりに実施されます。野村明義宮司によると、祇園祭が始まったのは今から千二百年ほど前の平安時代で、疫病を封じの目的があったそうです。神輿に六十六本の鉾を建てて、京都の町中を練り歩いたのが始まりでした。
神輿は水を清め、山鉾は空気を浄化して平安京の風水を整える役割を担っているのだそうです。疫病を退散させるために命の根本を支える空気と水を浄化する、実に理にかなった神事であると感心しました。
六月、梅雨の感話会ということもあり、雨、水に纏わる話しをしました。嫌われ者の雨ではありますが、恵みの雨でもあります。ときには曇り空を見上げて、視野を広げてみれば目の曇りも取り除かれるかもしれません。