「長寿札」
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発行日: 2020年 03月01日
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季報: 春 第97号 掲載
住職 及川玄一
立春を過ぎたとはいえ、まだまだ寒い日が続いていますが、境内の梅が一輪、二輪とほころびました。いつしか開花の準備が整っていたようです。
お寺では数年前から節分会にあわせて百寿、白寿、卒寿、米寿、傘寿、喜寿のお祝いにあたる方々に長寿を祝うお札を作り、贈らせていただいています。節分は季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日のことですが、立春の前日が特別に意識されるのは、厳しい冬が去り新しい四季の巡りが始まるからでしょう。
節分の法要を追儺会と称するのも一年の息災を願うが故です。二月三日の朝、三百数十本のお札をご宝前に上げて、僧侶全員で威勢よくお経を読み、お題目を唱えて檀信徒各位の年中安泰・息災延命を祈願しました。また、長寿札を授与する方のお名前を読み上げ、無事にその歳をお祝いすることができた「無数のお陰」への感謝を伝え、益々の息災延命を祈りました。
日蓮聖人が五四歳の正月を迎えた身延山に、熱心な檀家である鎌倉の四条金吾の奥方から一通の手紙と布施が届きました。今年三十三歳になる由、三十三は女性にとって大厄の年だから除厄祈願をお願いしたいとの内容でした。
聖人はその願いを承けて、お布施をご仏前に供え、法華経を読誦して除厄得幸の祈願をなさり、その後、手紙をしたためて、「法華経にはこの経を受持し、熱心に信仰する人を仏・神が必ず守ってくれると説かれています。まして、あなたの傍にはこの国に肩を並べる者がいないような堅固な法華経の信者である夫・左衛門殿がいらっしゃいます。しっかりと夫についていくことを心がければ、三十三の厄は転じて三十三の幸いとなるでしょう」と伝えました。
思いやり深い聖人のお言葉に感じ入ると同時に、人々がすでに鎌倉時代には年回りに厄年のような吉凶を意識していたことに驚きます。人生には節目の時が必ずいくつかあるものです。多くの場合は過去を振り返ったときに気づくことかもしれません。落語家の柳家小三治師匠が何かの折に、こんな言葉をぽろっとこぼしました。「人の生きる素晴らしさの陰には、必ず悲しさもある」と。
長寿のお祝いは、その方が乗り越えてきたいくつもの試練を振り返り、労をねぎらうものです。そして、そのお祝いの中には節目節目ににいただいた様々なお陰への感謝が込められているはずです。