「幸福感の作り方」

発行日: 2023年 09月15日
成子新聞: 第28号 掲載

令和5年8月20日 法華感話会 法話

「幸福感の作り方」

住職 及川玄一

 お暑いなか本当によく足をお運び下さいました。今日はこんなにも多くの方とお会いできるとは思っておりませんでした。それほど暑いという意味でして、今朝は六時半のお勤めの時に本堂内がすでに31℃ありました。毎週金曜日に入れ替える本堂の花が一週間も保たないということが一ヶ月以上も続いています。

 私が小学生のころは、夏休みが終わり学校が始まると、どれだけ日焼けをしたかを自慢しあったものですが、今は熱中症が心配で子供を外に出さないという親御さんもいらっしゃるようです。皆さんがこのように元気にお越し下さるのは有り難く、うれしいことです。

八月は特別な月

 今日は四谷の清水家のご当主がお供物を供えて下さいました。清水隆三郎総代さんの十七回忌の供養にです。今から四十年ほど前、私が僧侶になったころの総代さんです。いつも背広姿で、アイロンがかかったシャツにネクタイをきちんと絞め、矍鑠としておられました。感話会には必ずご出席下さり、いつも最前列にお座りでした。

 「べらんめぇ調」というのでしょうか。会話の中に古い江戸の言葉を残されていて、江戸っ子ではない私には話をお聞きするのがとても刺激的でした。百歳という天寿を全うされましたが、もう十七回忌かと思うと感慨深いものがあります。

 また、八月は終戦記念日、全国的にはお盆の時期でもありますので、亡くなられた方々に想いをはせることの多い特別な月に感じます。

「言うべきは感謝」

 デジタル的なものが主流な世の中になり、新聞紙上での人生相談などというと古臭く感じるところもありますが、産経新聞の「人生相談 明日へのヒント」という欄に、69歳の男性が投稿した悩みごとと、それに対する回答を紹介します。

 「自分のことで相談します。年は69歳。64歳で肺がん、67歳で口腔がんになりました。両方とも手術で治りました。65歳で会社を辞めて、最近、長らく暮らした都会から実家近くの田舎に引っ越し、友人は一人もいません。妻と2人だけの毎日です。

 今、暮らしている田舎には、サークルらしきサークルも、喫茶店やファストフード店もなく、人とコミュニケーションをとる場所もありません。また、長らくの会社勤めでこれといった趣味もなく、毎日、何をしていいのか悩みながら暮らしています。最近は少し鬱気味です。目標のない日々は苦痛です。

 世の中には私のような老人も多くいると思います。あと何年生きるか分かりませんが、どうすれば納得のいく生き方ができますか。アドバイスをお願いします。」

 この相談に答えているのは、小説家の山本一力さんです。回答を読みます。

 「あえて貴兄は、強運だと申し上げる。壮年期を過ぎてから2度も、がんをわずらわれたとのこと。その両方とも快癒されたことに、運の強さを感じた。

 新年を迎えたいまも、コロナ禍は一向に鎮まらぬ。そんな状況下でも貴兄はコロナとも無縁で、息災でおいでと拝察する。

 がんから快復されたことと、運の善し悪しは別物と、もちろん承知している。

 しかし…。過ぎた2年のなかで、まだ五十路前だった我が友人が、一年も満たぬがん闘病の果てに逝去された。

 医師の余命宣告は、無情にも的中した。

 本稿をしたためながらも、わたしは運の不公平を思わざるを得ない。

 妻子を遺して果てた彼は、もっと生きていたかったに違いない。しかし宣告を受けた後は逃げられぬ最期と向き合い、一寸の漏れもなく手配りして土に返った。

 先の時間にゆとりがあればこそ、あれこれと悩み、不満を抱くことができる。

 逝った彼にはしかし、悩み不満を口にする時間のぜいたくが許されなかった。

 かつて渡辺淳一さんが綴られた言葉。

 「目が悪くなった、耳が遠くなったと、ひとは文句を言う。それは了見違いだ。目も耳も心臓も内臓も、酷使されても文句を言わず、無給・無休で働き続けてくれている。言うべきは文句ではなく。感謝だ」

 渡辺御大のこの言葉を生きている限りの杖として、いまも日々持ち歩いている。

 貴兄より年長のわたしにできる助言は、御大が遺された箴言をお伝えすることだ。

 あなたは2度もがん手術のあと、快復を手に入れられた。

 執刀医の技量が秀でていたこともあろう。が、あなたの身体が持ちこたえてくれたがこそ、いまも生きておいでだ。

 感謝を抱けば、新しい景色も見えよう。」

 何もすることがなくて気が滅入っているという相談に、山本さんは自分の言葉も添えながら、自身が人生の杖にしているという先輩作家の渡辺淳一さんの言葉を紹介しました。

 私たちも多少年齢の違いはありますが、それなりに齢を重ねており、それぞれに内臓や足腰を酷使してきました。「休むことなく給料もとらず働いてくれている体に感謝をしましょう」というお答えにとても共感するところです。

小さくなった我が世界の中で     

 大阪府吹田市に住む82歳の女性が産経新聞「朝晴れエッセー」にこんな文章を投稿していました。

 「この素晴らしき世界」と歌うルイ・アームストロングの濁声が低く流れる台所で私は朝食をとっている。

 この間テレビを見ていてアメリカで黒人の基本的人権を認める公民権法が成立したのが1964年と知って驚いた。たった56年前のことである。ちなみに彼は1901年に生まれ1971年に亡くなっている。

 名声を博したとはいえ、人生のほとんどが差別の中にあったのだ。でも彼は屈託のない笑顔と歌声で皆を煙に巻いている。今世界各地で差別反対運動が広がっているのは周知のことだ。

 世界といえば、なんと私の世界は小さくなったことか。主人を亡くして2年足らず私の世界は確かに少しずつ小さくなってはきていた。でもコロナ禍で一気に縮小、以来わが家が私の世界である。

 自粛が解けて少しずつ行動範囲を広げているが用事が終わればすぐに家に逃げ帰る。〝部屋があなたを守ります〟というコマーシャルがあったなァ、と2杯目の紅茶を注ぐ。

 14世紀にヨーロッパでペストが流行ったとき、教会は無力でそれがルネサンスにつながったとどこかで読んだ。今、われわれはコロナ前コロナ後という歴史の潮の目を目の当たりにしているのだ。

 つかの間の雨上がりの庭に小鳥が来ている。流れる曲はボサノバに。さて朝食も終わりだ。また代わり映えのしない1日の始まりだが余生を生かすも殺すも私次第。上手に折り合いをつけて今日もやっていきたい。このスモール・ワールドで。

 82歳の女性が書いたエッセイですが、先ほどの69歳の男性とはだいぶ物事の受け止め方が違うようです。ルイ・アームストロングのメロディーを楽しみながら一人で朝食。黒人歌手の歌声から人種差別問題に思考を巡らす。外の景色もきちんと目に入っているようです。夫を亡くしての一人暮らし、自分の住む世界はどんどん小さくなっているとおっしゃっていますが、ご自分の今の環境に悲観せず、逆に狭くなった世界を十分に楽しんでおられるように感じます。

三つの「キンリョク」         

 最後にもう一つ産経新聞一面の「朝の詩」に見つけた京都府舞鶴市に住む73歳女性の詩を紹介します。

「キンリョク」

元気に動ける、歩ける。

やっぱり筋力なんだな。

薬の宣伝文句。それでは、納豆、

ヨーグルト食べて体調良好。

「菌力」なんだな。

さらに、旅行、食事会、楽しく

ストレス緩和、これは「金力」だな。

日々の暮らしの中、ふと思う。

三つの「キンリョク」に恵まれている。

今は幸せなんだな。

 私がこれまで産経新聞の「朝の詩」を読んできた中で一番楽しかったものです。歩くために必要な「筋肉の力」、ヨーグルトや納豆を食べて養う「腹中の菌の力」、楽しい友達との食事や旅行に必要な「お金の力」。自分に幸せを与えてくれる三つの「キンリョク」に感謝している詩です。最初に紹介した人生相談の男性より四つ年上の女性ですが、とても元気な感じがします。

日々の中に見つける喜び

 先ほどの法要で日蓮聖人の『崇峻天皇御書』の一節を読みました。

「蔵の財よりも身の財、身の財よりも心の財第一なり」

 蔵の財(金力)は魅力的なものです。しかし、それよりも内臓、身体の丈夫さ(菌力、筋力)はありがたいものです。そして何より大切なものは心の宝物です。と、日蓮聖人はおっしゃいました。

 心の宝物が私たちにとっていちばん大切なものです。しかし、それは誰かが与えてくれるものではありません。自分が工夫して作るものなのです。今日ご紹介したエッセーや詩をお聞きになり、そう感じませんでしたか。

 ひとりぼっちで摂る朝食は味気ないものになりがちです。それでもエッセーの女性はお気に入りの曲を流し、紅茶を楽しむことで気持ちを楽しく、和やかにしています。

 人生相談の回答者は「目も耳も心臓も内臓も、酷使されても文句を言わず、無給・無休で働き続けてくれているのです」と、身の財への感謝を促しました。ありがたいと思える心の中に宝物はあると諭して下さったように思います。 あとひと月乗り切れば秋のお彼岸です。お彼岸には「だいぶ日差しが楽になりました、風も涼しく感じます」と挨拶を交わしたいものです。残暑厳しき折です、ご自愛専一にお過ごしていただければとお願いをして終わりにいたします。ありがとうございました。

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