令和元年六月 法華感話会法話

発行日: 2019年 07月10日
成子新聞: 第1号 掲載

令和元年6月20日 法華感話会 法話

住職 及川玄一

 先日、東京オリンピックの観戦チケットの抽選がありました。来年に向け新しいホテルなどの建物が急ピッチで建設されていますが、この西口の高層ビル街にもこれからさらに新しいビルが何本か建つようです。そのような中、新宿駅の西口と東口を結ぶデッキをつくるという記事が昨日の新聞に載っていました。デッキが完成するのは2040年代だそうですから、順調にいってあと20年かかります。西新宿の高層ビル街で一番早くできた京王プラザホテルがおよそ50歳になりますが、経年のため壊されるビルがあり、新しく建てられるビルもありと、この辺りは50代半ばの私が生まれてからずっと工事をし続けていることになるわけです。

 新宿は、文字通り宿場町として始まりました。お寺のそばには五街道の一つ甲州街道が通っていますが、大きな街道には2里ごとに宿場が置かれました。2里は約8キロ。昨日、新宿から日本橋まで歩いてみましたが確かに8キロありました。もともと日本橋を出て最初の宿は高井戸だったのですが、高井戸までですと2里の倍、約16キロありますから人馬には結構な負担がかかる距離ということで、江戸開府から百年ほど過ぎたころ、新しい宿場として新宿が置かれました。

 今日6月20日は、開山中道院日立上人のご命日にあたります。上人が亡くなられたのは慶長18年、およそ今から410年ほど前、新宿が宿場となる以前の江戸時代初期のことです。常圓寺は、その日立上人の時代に「幡ヶ谷」からこの場所に移ってきました。残念ながら移転以前のことはほとんどわかりませんが、今から約430年前に、この地にお寺を移した中道院日立上人を常圓寺の開山上人として今日まで受け継いでおります。

 では430年前とはどういう時代だったのでしょうか。江戸幕府ができる前の戦国時代、豊臣秀吉が天下を誇った時代です。その天正13年(1585)9月13日、常圓寺は「幡ヶ谷」からこの場所に移転してきました。秀吉は天正11年に大阪城を築城し、同13年に関白の地位に就任、その翌々年には京都に聚楽第という立派なお屋敷を建てて天皇陛下をお招きし、いわゆる自分の権威付けをした時代、その頃に常圓寺はここで始まったのです。

 その後、日立上人は慶長18年(1613)にお亡くなりになるまでの28年間、住職を務められました。歴代の住職が務めた平均をみてみると10数年ですから、その倍以上務めたことになります。30代から40代はじめのころに来られて、60代でお亡くなりになったという感じでしょうか。

 なぜ私がこのような話をするのかというと、本当にわからないことばかりだからです。日立上人がどういう人だったのか、その当時どういう人たちがこのお寺を支えてくれていたのか、歴史で伝えられていることをもとに想像することが唯一の手掛かりなのです。

 そういったことで当時の歴史をさらに振り返ってみますと、秀吉は天正16年、今度は当時関東一円を治めていた小田原の北条氏を攻めます。小田原城の支城で、北条氏照が城主だった八王子城も、豊臣方についていた前田利家などに攻められて陥落しました。私の前任だった八王子の本立寺はもともと八王子城の城下にあったお寺です。落城したために本立寺も焼かれてしまい、今の場所に移りました。それ以来本立寺もあの場所に四百数十年あるわけです。

 さらにその天正16年の翌年には、千利休が自害し、今の大阪城の場所にあった石山本願寺が、京都の現在地(西本願寺)に移されました。

 時代が天正から文禄に変わると、秀吉は2回にわたって朝鮮を攻め、結果的にはそれが秀吉の力をそぐこととなりました。ご存知のように関ヶ原の戦いが起こった1600年頃は、国の歴史の中でも重要な時期でした。

 そして徳川家康が江戸に入城し、そこから250年間、江戸時代が続くことになります。慶長17年はキリスト教が禁制になります。その翌年の慶長18年に日立上人はお亡くなりになり、そしてその2年後には大坂夏の陣がありました。その数年の後、徳川家康も亡くなります。

 常圓寺のスタートはそのような時代と並行しています。意外に思われるかもしれませんが、江戸時代はとても落ち着いた時代でした。約250年間ですが、その期間がお寺にとっても一番穏やかな時代であったかもしれません。なぜならば、明治になると新政府の方針で神道を国教とすべく廃仏毀釈がはじまり、仏教界は強い弾圧を受けました。また、西欧的価値観が先進的な思考として世間に浸透します。仏教は時代遅れの宗教とみなされました。

 また、明治から昭和初期までは国家が戦争に向かった時代であり、多くの人命が失われました。雑駁ではありますが、当山の歴史を振り返ると、意外に前半の江戸時代の方が穏やかな時代で、そのお陰で今日の礎が築かれたと想像できます。開山上人自身のことを知るのは難しいことですが、時代・歴史というものを考察すると実像が少し見えるような気がします。

 今日こうしてここに集っているということは、我々が生きているということであり、生きているということは我々にもそれぞれ歴史があるということです。しかし、私たちは両親、祖父母まではどんな人だったかおおよそでも確認できますが、その上のご先祖さまとなると、ほとんどの人は分かっていません。数百年前の遠い過去、自分のルーツを知ろうとも、また意識することもまずありません。でも、間違いなく命を受け継いでいます。

 ではどうしたら遠い遠い自分の過去を感じることができるのでしょうか。お寺の本堂は、ご先祖さまにつながる窓口です。今日は本堂で30分、皆で一生懸命お経を読みましたが、意識しなくても体のどこかがご先祖をきちんと捉えています。その無自覚ともいえる体験をすることで「今生きている自分がありがたい」「おかげさまで生きている」という感謝の気持ちが呼び覚まされるのです。無言の納得とでもいうのでしょうか。それが月に一回でもここにくる、日々においては仏壇の前に座る、そういうことではかりしれない遠い遠い過去へのつながりを無意識の中に皆さんの体と心に呼び覚ましてくれるのだろうと思います。

 今日は開山上人以来三十七世本妙院日修上人まで、皆さんと一緒に感謝のお経をあげられましたことに心から感謝いたします。

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