佛々現前 仏心の前に仏現る
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発行日: 2020年 04月10日
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成子新聞: 第9号 掲載
令和2年2月20日 法華感話会 法話
佛々現前(ぶつぶつげんぜん)
仏心の前に仏現る
住職 及川玄一
二月四日の立春から早二週間、気が付けば梅の花が咲いています。
「冬来たりなば春遠からじ」、また、日蓮聖人のお手紙にも「冬は必ず春となる」という一節がありますが、梅が咲くと「もう冬が終わるよ、すぐ春が来るよ。もうひと頑張りだよ」と励ましてくれているようで、とてもありがたい花だなと思います。
新聞の読者投稿エッセー
今日は二つ紹介したい文章があります。私は産経新聞に載っている読者投稿「朝晴れエッセー」を毎朝感心しながら読んでいるのですが、今回紹介するのは、どちらも〝お母さん〟が関係する話です。
うちの大黒柱
吉村海音 15 中学3年生 大阪府藤井寺市
私には大好きな人がいます。それは祖母です。祖母は誰よりも家族思いで優しく、家族の中で祖母を嫌う人は一人もいません。私が生まれたときから、親のように私を育ててくれました。だから、私にとっては祖母はかけがえのない、とても大切な存在でした。そんな祖母が10月に他界してしまいました。それはとても急なできごとでした。私は、祖母を亡くしたショックで言葉にならず、ただただ涙が出るばかりでした。泣きたくもないのになぜか止まらず、勝手に涙が出るとはこういうことか、と思いました。それは私の母や兄も同じでした。しかし、父だけは違いました。亡くなった祖母は父の母で、最初に母を見つけたのも父でした。私はそのときの父の気持ちなど、考えられません。父はすぐに救急車や警察を呼んだり、葬儀の場や火葬場の予約をしたり、ご飯を人数分用意したり、お坊さんを呼んだりと、すべて一人で完璧にこなしました。葬儀の場でも火葬場でも、一度もみんなの前で涙を流しませんでした。そして一段落ついた頃、夜に一人、誰もいない家の1階で子どものように泣きじゃくる父がいました。私は父の泣き声を初めて聞きました。その声を聞いたとき、私の胸もなんだか苦しく、いっぱいになりました。そして、私はそんな父がとてもかっこいいと思いました。また、父の偉大さを改めて感じ、一生この人について生きていこうと強く決心しました。
産経新聞「朝晴エッセー」より転載
お帰り!母ちゃん
犬伏秀一 63 東京都大田区
私の母は、3回結婚した。まずは姉を出産した後、離婚し私の父と結婚、私を生んだ。私が3歳の頃、今度は駆け落ち同然に職場の同僚と結婚して弟を出産。私は、父子家庭で父と2人楽しく暮らしていたが、父が10歳のときに病死してしまったので、中学2年から2年間だけ母と彼女が再婚した義父と暮らした。ただ、その家で暮らすことに違和感があり、中学卒業と同時に自衛隊生徒として入校、母の元を離れた。平成17年、その母が亡くなり義父は再婚をし、さらに一昨年、義父もなくなり、彼らの家の処分をなぜか私が任されることになった。立派な構えの家にはたくさんの遺品があり、義父の妻から「好きなものを持っていって」と言われた。そこで私はひとつだけいただいてきた。それは母の位牌。姉弟と母の間にどのような確執があったのか知るよしもないが、彼らは母にたいしてよい感情を持っていない。したがって、2人は母の位牌を預かる気持ちはない。私はといえば、中学校の2年間しか母と暮らしていないため、姉弟ほど母に嫌悪感はない。いや、それよりも生んでいただいた恩の方が強いのだ。父と母がいて、いま、私が生きている。それは感謝しかない。そこで母の位牌を喜んで預かり、わが家に連れ帰った。父と母が離婚したのが60年近く前。60年ぶりに2人並んだ位牌。さぞかし2人は気まずい雰囲気になっているだろう。まあ、父ちゃん、母ちゃん、俺に免じて仲良くしてくれや!母ちゃん、お帰り!
産経新聞「朝晴エッセー」より転載
一つ目の文章を書いた中学生のお宅は、おそらく三世代が一緒に住んでいます。お父さんもおばあちゃんもいい人で、嫁姑問題もなく、お母さんは義理のお母さんに感謝の気持ちで接し、家の中がいつも柔らかい雰囲気であることが想像できます。
娘は祖母が亡くなったとき、父が母を送る姿を見て、「お父さんはすごい人だな。娘だからではなく、人として一生ついていきたいな」と父に抱いた敬意を文章にしています。
ずいぶんと違う母親
もう一方は、お母さんが三回結婚したという男性が書いた文章です。幼いころ両親が離婚し、母親が出て行き、父親も自分が十歳の時に死んでしまった。中学二年の時にお母さんと再び暮らすことになりましたが、違和感が消えません。家を出ることを考え、中卒でどこか行くところがあるか一生懸命探したんでしょう。自衛隊の学校に入ります。その後もおそらく自衛隊員としての道を歩んだと想像します。
お姉さんと弟はどのように生きていったのかわかりませんが、ひょっとしたら母親と同じような生き方をしたかもしれません。少なくともずいぶん年を取ったであろう今、母親の位牌を預かるという気持は起きていない心胸でいます。
客観的にこの男性の人生を想像すると、ずいぶんと苦労が多かったことだろうと思うのですが、その苦労を感じさせない明るい文章をお書きになっています。どうしてだろうと、不思議に思いました。
紹介した二つのエッセーは、家庭環境がまったく違う二人が書いた、とても印象深い文章です。
卒園生に贈る言葉
話は変わりますが、この時期、手芸会の皆さんが立正幼稚園の卒園式・入園式で生徒が付けるお花を作って下さいます。私は常圓寺の住職として立正幼稚園の理事長をしていますので、卒園式や入園式で挨拶をしたり、卒園アルバムに贈る言葉を書いたりしなければならないのですが、これがなかなか難しく気が重いものなんです。
昨年のアルバムには、幼稚園の礼拝堂に掲げられている額のことを書きました。
額には私の祖父の字で「佛々現前」と書かれています。祖父が好んで書いていた言葉です。私もよく覚えているのですが、どういう意味の言葉なのかを聞いたことがありません。園の創立者である祖父が額に入れて掲げたのですから、そこには祖父の園児に対するメッセージがきっとあるに違いないと思い、その意味を私なりにいつも考えてきました。
佛々現前…私の解釈
「佛々」ですから、仏さまが一人ではないと思うんです。少なくとも二人。また、最初の「佛」には心をつけて「仏心」と考えてもよいのではないかと想像しています。
「仏心を持っいる人の前には仏が現れますよ」、あるいは、「仏心を持っている人の前だけには仏が現れますよ」と解釈してもよいでしょう。
極端に言うと、「仏心を持っている人の前に立っている人は、どんな人でも仏である」と解してもよいと思っています。
保母さんたちには「いつも優しい心で子供を宝物として大事にしてほしい」、園児たちには「誰をも大切な仲間と思って遊んでほしい」、そしてお父さんお母さんには「親子の間柄でも〝仏心〟を大切に接すれば、自然と自分も子供も仏となって、そこに穏やかで幸せな空間ができるんですよ」と、祖父はそんなメッセージを伝えたかったのかもしれません。
立正幼稚園で学んだ子供たちがいつかその言葉を思い出し、自分はそういうところで育ったんだと思ってもらえたらうれしいという気持ちを、昨年は卒園生への贈る言葉にしました。
仏心ってなに?
さて、「仏心」を園児に説明するとしたら、どのように伝えたらよいでしょうか。
〝優しい心〟といっても間違いではありませんが、少し物足りないような気もします。〝慈しみの心、慈悲の心〟というと、園児には「慈しみ、慈悲」が難しい。今、私がかみ砕いて表現できるのは「相手を思いやる気持ち」、そこまでです。でもそういうことだと思うんです。
仏教では誰しもが「仏心」を持っていると教えます。ただ、芽が出ないまま終わってしまう人もいますし、芽は出たけれども栄養を与え続けることができずに、途中で枯れてしまう人もいます。
先ほどのエッセーの男性は、仏心の芽がなかなか出にくい環境に生まれてきました。それでもへこたれずに、一生懸命に仏心の種を養い続けた人だったのではないでしょうか。
慈しみの心が十分に育っていた人だからこそ、小さい時に捨てられた母親の位牌を快く預かって「母ちゃん、お帰り!」と迎え、そしてそのことを明るい文章で表現することができたのだと思います。慈しみの心を持った男性の前だから、目の前の位牌の母も仏になる、これも「佛々現前」です。
人が育つには、波風のない幸せな家庭である方が良いでしょう。一方で、この男性はお母さんが浮気しなければ生まれてきませんでした。仏教的に考えると、男性にとっては母の浮気も一つの縁なのです。
男性はその縁をまじめに生きました。だから仏心が育ったのです。他の二人の姉弟がお位牌をもらおうとしなかったのは、まだ仏心が充分に育っていないからです。
心は育てることができる
この姉弟の振舞いの違いは「仏にもなれるし、仏にもなれない」ということの証明になっています。姉弟のうちで一人だけ仏になったということは、「仏になれる人もいればなれない人もいる」ということです。
自分の心次第で誰もが仏になることができます。誰かが仏にはしてくれません。自分の心を創り育てることができるのは、自分しかいないのです。男性の文章は我々にそういうことを教えてくれているのだと思います。
春は芽の出る季節、私たちの心もぐんぐん良い方向に向けていきたいものです。本日もご静聴ありがとうございました。